2019年の緑地帯2

 23、4歳で上京した私は、憧れの東京でのひとり暮らしというだけで最初は満足していた。専門学校に通うために上京したのでそれなりに友達もできた。だけど、学校の次のステップ、就職という段階へはたやすくいけなかった。大変苦労した。当初は広島に戻る、と言って上京したけれど東京に行って、「編集」という仕事は大手の出版社だけでなく、編集プロダクションという規模の小さな会社でもできることを知ったり、また「音楽業界」にも興味があったので、音楽関係の事務所がたくさんあることも知り、東京での可能性をまだまだ試したい、と若い私は模索していた。

 そんななか、学校に特別講師としてやってきたのが編集者Kさん(のちの編集長)だった。講義で、当時好きだった詩人銀色夏生の連載や書籍、10代の頃から好きだった浜田省吾の書籍編集を手がけていることを知り、Kさん編集長の総合文芸誌を読み始めた。そして、Kさんが言っていたように、雑誌を隅から隅まで読み感想を愛読者カードにしたため、毎月送った。すると、ある日突然、編集長Kさんから電話がかかってきた。「あのミュージシャンが次はくる」「この作家が面白い」と独断と偏見で書きつづったそのハガキや手紙を面白がってくれて、「一度、編集部に遊びにきませんか?」と言われた。

 これをきっかけに私は編集部のアルバイトになり、やがて編集者としていくつもの特集や作家担当を行った。文芸誌の編集者なんて思いも寄らない仕事につくことができた。これもそれも、私の面白がりを分かってくれる編集長がいたからこそ。学歴も何もない私だけど、柔軟な感性、それが一致する場所を嗅覚でみつけることはできたのである。






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