緑地帯「マイペースに編集の道をゆく」①

 小学4年生の時はクラス内のひとり文芸部に所属し、文集制作、卒業時には卒業文集の編集委員をしていた。なぜか私は幼いころから編集という分野に興味があった。

 10代になり、音楽やライブを好きになってからは音楽仲間と佐野元春のミニコミ誌を作っていた。もちろん1970、80年代の洋邦楽の音楽誌も読みあさり、作文家と名乗る音楽ライター吉見佑子さんの詩的な音楽評論にあこがれていた。

 そんなころ「スナップショット オフコースその夏まで」という音楽ライター藤沢映子さんの単行本を読んだ。この本で「編集・ライター」という仕事があることを知った私は、”こんな仕事をやりたい!”と上京し、専門学校に入った。

 専門学校で出会ったのが、「月刊カドカワ」の見城徹編集長(現幻冬舎社長)だった。特別講師としてやってきた見城さんは「会いたい人がいたら丁寧な手紙を書きさない」と熱く語った。

「月カド」には、私の好きな銀色夏生の連載があり、壁新聞のような、楽しい連載を矢野顕子がやっていた。ゆるい文芸誌に魅了された私は一番好きな新人音楽家のことなどを自由気ままに手紙につづり、編集長に送った。手紙は編集長のツボにはまり、ここから私の編集の道がスタートした。

 マスコミといえば一般的にあこがれの業界だ。私はえんと運だけで切符をつかんだたたき上げ。誰と仕事をしたいかが明確ならば、運は必ず味方してくれる。

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