2019年の緑地帯

 ということで、2009年の新聞連載を転載しました。それから10年。ここからは10年たった、2019年の「マイペースに編集の道をゆく」を8回にわたり書いていきたいと思っています。

 幼いころは引っ込み思案で人前が苦手だったので、文字を書いたり、本を読んだりもしていた。もう今となっては何がきっかけだったのか、あまり覚えていないが、小学生で詩集を作っていた。ただ紙に詩らしきものを書いて紐でとじただけのものだったけど、それをつくったことは異常にうれしかったのを覚えている。

 そこから中学、高校になったころにはライブが好きになり、地元のイベンターに出入りしたり、仲間とミュージシャンのミニコミ誌をつくったりもしていた。そして、ある音楽誌の企画に一般の方がミュージシャンにインタビューするというものがあり、それがとてもうらやましくって、うらやましくって、これを仕事にしたい!と思った。まあ、ただのミーハー精神から始まっている。だけど、そればかりではなく、それはきっかけのひとつ。

 かといって、まだ80年代後半の広島、それも呉には「編集」の仕事などなく、20代になった私は試行錯誤をすることになる。

 当時、広島にはタウン誌やFM誌がいくつかある程度で、地元で作っている雑誌はほとんどなかった(はず)。だから、20代の小娘が考えることはただひとつ、「こういうところに入りたい!」。だけど、その方法やコネがみつからず、「もういっそのこと東京に行く。東京の編集の専門学校に行けばなんとかなるんじゃない」だった。そして、1987年の春、上京するのである。
両親には「学校の2年間だけ東京に行かせて」とウソをついて。

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