i suppose it's a bit too early for a gimlet

今の会社に募集した時の履歴書に、「趣味 バー巡り」と書いたらしくて、10年近く前のことなのにいまだにイジられている。
大学の研究職を辞めたばかりで少々自暴自棄だったから、ちょっと印象に残るようなことをと思って書いたらしいのだけれど、昔過ぎて正直記憶が曖昧だ。
実際問題いまでも「ちゃんとした」社会人がやれている自覚はまったくなくて、一番飲み歩いていた頃は会社にいる時間より酒場にいる時間が長いような1日を過ごしたこともあったのだから、まぁそういう性なのかもしれない。

とはいえ普通の大学生の頃は「バー巡り」と言えるほどバーに通いつめる経済的余裕はもちろんなくて、本当にバーに通いつめるほどになったのは就職してからだったりする。働き初めの頃迷い混んだバーには、ちょうど同じ時期にバーテンダーを始めた年上の女性がいて、彼女が辞めるのと同じ時期にそこには行かなくなってしまった。その後そのバーで知り合った人がやっているカラオケスナックに入り浸るようになり、半年ぐらいして彼女がそこで働くようになって、なんともややこしい状況が何年か続いたりした。多分カポーティの『ティファニーで朝食を』の主人公とヒロインみたいな、男女の仲にはなりそうにないけれど、どこかで響きあっているような、微妙な関係だったのだろう。
例のコロナがあったり、僕自身が年を重ねて静かに飲みたい夜が多くなったこともあって、最近そのスナックに行くことは少なくなったけれど、今でもたまに顔を出すとすごく居心地がよくて、ついつい長居をしてしまったりする。

バーで飲む時には、だいたい初めにギムレットを頼む。
もちろんチャンドラーの『ロング・グッドバイ』から影響されたからだけれど、テリー・レノックスに匹敵する大酒飲みになった今でも飲み続けているから、やはり体に合うカクテルなのだろう。

ちなみにテリーは小説の中で、マティーニはギムレットに及ばないようなことを言っているけれど、それはそれらを飲む「文脈」にもよると思っていて、どちらのカクテルがより優れていると言い切るのは難しいと思う。ショートカクテルは夕食前の食前酒として愛好された歴史があるけれど、ディナーの前に一杯引っ掛けるならば、ドライマティーニのほうがその後に続く食事の味を邪魔しない気はする。ジンのすっきりした香りが鼻に抜けると同時に、ベルモットの甘みとオリーブの塩味が口の中を満たすのは至福で、しかしその風味はしばらくすると跡形もなく過ぎ去ってしまって、これから続く食事とナイトライフへの期待を嫌がおうにも高めてくれる。アペリティフ(食前酒)とは元々「開く(aperire)」というラテン語から来ているけれど、これから始まる「夜」を「開く」という意味では最高のカクテルだろう。

ギムレットはジンとライムジュースのカクテルで、柑橘系の爽やかな香りが素晴らしいけれど、食前酒という意味では、何かひとつ歯車が噛み合わないと「飲み合わせ」が悪くなるきらいはある。その点ではドライマティーニほどには「無難」な酒ではないかもしれない。

でも、美味しいのだ。
ジンのハーブ臭とライムの甘み、酸味、苦味がシェイクによって一体となって、ひとかたまりになって口の中を満たす感じはなんとも忘れ難い。そして飲み下した後でも柑橘系の香りは口に残っていて、ほのかな余韻をタバコの煙とともに味わうと切なくなって、もう一杯飲みたくなってしまう魔力がある。

Alcohol is like love. The first kiss is magic, the second is intimate, the third is routine. After that you take the girl's clothes off.
「アルコールは恋に似ている。最初のキスは魔法のようだ。二度目で心を通わせる。そして三度目は決まりごとになる。あとはただ相手の服を脱がせるだけだ」
レイモンド・チャンドラー『ロング・グッドバイ』村上春樹訳 早川書房 2010, p39

テリーがいうような魔力を持つ酒の代表格が、ギムレットだろう。

ところでカクテルは大体そうだけれど、ギムレットはバーによって、バーテンダーによってかなり味わいが異なる。村上春樹の有名なエッセイ『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』(新潮文庫 1999)で、スタウト(黒ビール)の味がパブごとに違うことを描写した素敵な一節があるけれど(p92-96)、まさにあのような感じでかなり個性が出る。カクテルはある意味「料理」に近いから、ビール以上にわかりやすく差が出るものだ。

最近僕が一番よく行くバーは職場に近い新橋の「魂(仮名)」だけれど、そこではマスターはギムレットを少し甘めに作る。ベタベタに甘いわけではなくてわずかに甘い感じだけれど、飲むとほんのり落ち着ける、いい塩梅だ。

上野で美術館やコンサートの後には「伝統(仮名)」に行くけれど、そこのギムレットは酸味が強い気がする。ジンがゴードンだから風味が強めで、頭が冴える感じだ。

地元にある「黒(仮名)」のギムレットは苦味が立っていて、非常にすっきりしている。苦味は人の味覚の中で一番長続きすると聞いたことがあるけれど、その苦味に伴奏されて甘酸っぱさも口の中に残り続けるから、かなり満足感がある。

このように、同じギムレットでもそれぞれ特色があって、みんないい。
例えとして適切か迷うけれど、同じ醤油ラーメンでも店によってダシが魚介系だったり鶏ガラだったり、麺が太かったり細かったりいろいろあって、その店主が一番美味しいと判断したものを出すのと同じように、同じカクテルでも、それぞれのマスターのこだわりが詰まっていて、まったく別の味わいを奏でるのだ。

もちろんラーメンで「濃い味」「麺細め」などリクエストできるように、カクテルも味の好みの注文はだいたいできるけれど、結局マスターが研究を重ねて決定した「オリジナル」が一番美味しかったりするから、なんとも微妙で繊細な世界ではある。

ちなみに上に挙げた3つのバーはキューバ物の葉巻も置いてあって、ギムレットが終わって落ち着いた頃に一本頼むことが多い。だいたいカルヴァドスかコニャック、そしてラムかウィスキーと飲んで、最後にアイリッシュ・コーヒーで締めることが多いだろうか。葉巻は吸い初めてから味が少しずつ変わるので、酒のほうも合わせてリレーする感じだ。

「魂(仮名)」にはすごく甘くてフルーティーなカルヴァドスとコニャックがあって、その甘みとわずかな酸味が葉巻の最初の香りによくマッチする。「ロミオとジュリエット」(葉巻の名前だ)とか、軽やかだけどしっかりした葉巻に特に合う気がする。

アイリッシュ・コーヒーもギムレット同様にカクテル=料理なので、マスターによって全然違ったりする。
そもそも「アイリッシュ」と言っているけれど、ベースの酒をスコッチに変えてくれたり(ゲーリック・コーヒーとかケルティック・コーヒーとか呼ぶらしい)、ラムに変えてくれたり(カリュプソ・コーヒーというらしい)する。

これは客側のリクエストになるけれど(思えばかなり面倒くさい客だと我ながら反省する)、作り方もこだわっている人が多い。一番驚いたのは、「伝統(仮名)」でグラスに注いだジョニ黒にフランベをした時にはだろうか。その方が香りが立つらしい。コーヒーはエスプレッソにして、生クリームにはドランビュイを混ぜて甘みを足していると言っていた。香りだかいけどわざとらしくなくて、飲み始めと終わりで少しずつ味が変わる贅沢なカクテルだった。
「黒(仮名)」はアイリッシュ・コーヒーは冬だけらしいが、コーヒーの浅炒り深煎り、甘め酸味強めなど細かく聞いてくれて、その時の気分にあった一杯を作ってくれる。葉巻にももちろん合う。
「魂(仮名)」でもアイリッシュ・コーヒー(だいたいスコッチに変えてもらうけれど…)は飲むことが多くて、強めの酒を飲みすぎた後にホッと一息つき、少しきつくなった葉巻のエンドノートと口の中で混ざり合うのを楽しんでからお開きにする感じだろうか。パルタガスとかコーヒーのようなニュアンスがある葉巻もあるので、かなり親和性があるのだ。

ちなみに「お開き」とは言ったけれど、本当にこれが「アペリティフ」になって、また飲み始めるということはない。
…とは言い切れないのが、酒飲みの辛いところだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?