見出し画像

他者を滞在させない喜び

マツコデラックスさんが、幸福とは他者を滞在させずに喜びを得ること。って言ってるのをしばらく前にSNSで見かけました。

『人は生まれてきた時点で他者との関係性を切ることは絶対にできないんだけど、それはありがとう、でも自分はこれ。
って他人を介入させないで比較しないものを持ってることが幸福だと思っている』的なことをおっしゃってました。

初めてそれを数年前に見た時は、『ええ〜さみしい人だな〜』って思ったんです。

でも最近、本当にその通りだなーと思うようになりました。
おそらく、去年の誕生日に出雲大社に一人旅に行ってきたことがその思いに拍車をかけている気がします。

やりたいことがふんわりあっても友達と都合が合わないからまた今度でいいや
行きたい場所があっても相手の気持ちがあまり乗る気じゃないからまた今度でいいや。
食べたいものがあっても一緒にいる人の趣味嗜好に合わせたり
また、その逆をして誰かに合わさせてしまったり。

私は今まで生きてきてものすごく小さなことを含めると、どれだけ何かを諦めきてきたのだろう。

その時そのやりたいことを1人でも挑戦していたら、私の人生はどれだけ色鮮やかで経験豊富なものになっていただろうか。

まいいや。と思った時間を自分にとって有意義な時間にできてただろうか。

そう思うと、自分の気持ちだけでアクションに移せる時間を持ってるって、とっても幸福なことだと思うようになりました。

もちろん誰かと関わること、誰かのために動くこと、誰かを助けることによって感じる幸せの方が遥かに幸福度は高いだろうし、特に私はそれがないと生きていけないです。
誰とも関わらず生きるのが幸せだと言ってるわけではなくて、共感できる人や経験があることはとっても幸せなことですが、そうじゃない部分もちゃんと大事にしていれば、特に恐れるものないなーと思います。

よって私は、昨日の夕方仕事を終え、
『はー寒いなー温泉入りたいなー。あー伊香保なら近いなー(近くもないけど)、よし、行っちゃおうかー』

と、一人で高速に乗って伊香保に向かい、3時間近く温泉に入りました。

群馬の星は綺麗で風は冷たくてサウナの後の外気浴なんてサイコーで、オロナミンCを飲みながらまた高速に乗って、車の中で好きな歌を大熱唱しながら帰ってきました。

そんな帰り道は、日頃の小さなストレスや、自分の努力ではどうにもならないこと(相手が関わる問題)なんて、もうどうでもいいや。と思えます。

そんなことに時間を割くよりも、自分の努力やアクションで得られる幸福感のために、これからも尽力して行きたいなーと思います。

私の人生は、例外なく有限ですし。
相手の人生も有限ですし。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?