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骨董〜文化財を考察する

1,あなたも「国宝」オーナーになれる?

久しぶりに骨董市に行った。この市は地元の大型施設で月に一度開催されているのだが、コロナの流行以来足が遠のいていた。感染者数が減ったタイミングで様子見に行ったが、出店数も激減し、かつての賑わいはなかった。

懇意にしている美濃物(地元、土岐や多治見で作られてきた志野や黄瀬戸をはじめとする焼き物)を得意とする業者が来ていたので、最近の業界の動向を聞いてみると、やはり全体的に相場は安くなっているものの相変わらず一級品は高値の華であり、二級品以下の品をどう買い付けるかということを考えているそうだ。

もっとも一級品だの、それ以下だのといったところでその定義は難しそうだが、「文化財」という言葉を聞くと何やらステータスを感じる人は少なくないであろう。「私は骨董コレクターです。」というのと、「私は骨董コレクターですが、コレクション中には国宝指定を受けたものもあります。」というのとではまるで印象が違うはずだ。

ここで「国宝を持っている?ウソでしょ?」と思った人。法的な観点からすると、これは十分アリな話なので、少しこの点に関して書きたいと思う。

2,文化財の定義

展覧会などで、目玉として取り上げられる「国宝」や「重要文化財」は、いかにも「国のお宝」というイメージがある。しかし、それが必ずしも「国の所有」とは限らない。

例えば国宝の法隆寺「百済観音像」に例に挙げると、この仏像は法隆寺の所有となっている。法隆寺は宗教法人なので民間ということになる。したがって民間の宗教法人が所有している「国宝」というのが正解。これが個人に置き換われば個人蔵の「国宝」となる。

定義としては公的機関である文化庁が、専門家による調査や審議会による選定と諮問答申を経て、歴史・技術・学術的な価値などが確かめられたものであり、価値が高く優秀と認められたものに対して文化財認定を行う事となっている。

1949年(昭和24年)に法隆寺金堂の障壁画が火災により焼損したのがきっかけとなり、今日の文化財保護制度の基幹となる「文化財保護法」が1950年(昭和25年)に制定された。そこで文化財としてカテゴライズされるものは意外と多岐にわたる。(下記参照)

・有形文化財:建造物、美術工芸品(絵画、工芸品、古文書、歴史資料など)
・無形文化財:演劇、音楽、工芸技術など
・民俗文化財:風俗慣習、民俗芸能、若しくはそれらに用いられる衣服、器具など
・記念物:遺跡、名勝地、動物、植物、地質鉱物
・文化的景観:地域における人々の生活や風土により形成された景観地
・伝統的建造物群:宿場町、城下町、農漁村等
・埋蔵文化財:土地に埋蔵されている文化財
・文化財の保存技術:文化財の保存に必要な材料や用具の生産・制作・修理等の技術

「有形文化財」はもっともわかりやすいカテゴリーで「法隆寺」も「東大寺」も「奈良の大仏(東大寺)」も、みなここに含まれる。ポイントは「建築物」と「美術工芸品」に分かれるということで、どちらも個人所有は可能であるが、かかる制限や国からの補助は異なる。

「無形文化財」は例えば「人間国宝」が分かりやすい例であろう。「能」や「狂言」、「歌舞伎」、「文楽」、「落語」といった伝統芸能には「人間国宝(通称)」がいる。また、「陶芸」、「染色」、「漆芸」、「金工」など伝統工芸の分野でも同じことがいえる。正確には「重要無形文化財の(各個認定の)保持者」という呼び方が正しい。

それ以外のカテゴリーは言葉の通りだが、このコラムでは「有形文化財」の「美術工芸品」に関してとりあげる。対象とされているのは、専門家による調査や審議会による選定と諮問答申を経て、歴史・技術・学術的な価値などが確かめられたものであり、価値が高く優秀と認められたものになる。

3,文化財は「買え」る。

結論から言うと文化財の売買は法的には可能である。ただし、海外への輸出(持ち出し)は法律上禁じられている。

では仮にあなたが億万長者だったとして、投資(あるいはステータス)のために何かしら重要文化財を買おうと決めたとする。では、どこで買えばよいか?

一流の美術商はそのクラスのものを扱っていると考えてよいだろう。しかし、一流の美術商の定義は非常に難しい。こればかりは業界に関する知識がないと難しく、本や雑誌に取り上げられていたということだけで「即ち一流」とならないところがある。つまり「有名」≠「一流」なのだ。

次に色々と情報を集めてそれらしきものを扱っている美術商が判明したとする。では、彼らは店自慢の「重要文化財」を安々と売ってれるのか。おそらく「お金はいくらでも払うので、重要文化財売ってくれませんか。」といえば仮にそうしたアイテムがあったとしても「うちには、ないです。」といわれるのが落ちだろう。

基本的に美術商は顧客をよく見る。これは、その客がどの程度美術のことに精通し、どれほどのコレクションを築いてきたのか、会話をしながら、あるいは興味を示すものを見ながら、その客をランク付けするのだ。ただし、これは別に失礼なことではない。商売をするのに必要な情報であり、その情報をもとに「適切な商品」を紹介する。

意外と私のようなお金のない客でも、「好き」が伝われば邪険にされることはない。仮に一流の店に入って、場違いだと分かっていても、美術品に対する敬意が伝われば、快く話し相手にはなってくれる。そうした独特な世界なので、「金の力」のみでは物事は解決しない。

では、あなたが年季の入った骨董コレクターで然るべきコレクションを築いてきたとする。こうなると最終到達点としていよいよ「文化財」をゲットできるチャンスにも恵まれてくるだろう。

4,「国宝」>「重要文化財」>「重要美術品」

文化庁が文化財と認定するものに「国宝」と「重要文化財」があることは先に述べた。しかし、実際にはここにもうひとつ「重要美術品」というカテゴリーが追加される。ここでは現行の「文化財保護法」1950年(昭和25年)制定以前の話をする。

1921年(大正10年)、日本の絵巻物の代表作の1つである吉備大臣入唐絵巻(国内に残れば国宝確定というレベルの品)が、海外へ流出したのをきっかけに、国内にある美術品のうち重要なものが海外に流出するのを防止するための法整備が当時の財界人の中で議論されるようになった。財界人と書いたのは、当時の数寄者には財閥のオーナーといった経済人や政治家などが多かったためである。(今では数寄者といえる元政治家は細川護熙ぐらいのものであろう。)

これを契機に1933年(昭和8年)、「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」が制定された。ここで指定されたものは原則海外輸出禁止となったため、重要な美術品の海外流出は防げるようなった。文化財保護法が制定されるまで重要美術品認定は継続され1950年(昭和25年)の時点で8200件ほどあったとされる。

この法律は文化財保護法制定とともに廃止されたわけだが、その「効力」は「当分の間」保つものとするとされた上に、当時「重要美術品」に指定されたものがそのまま「重要文化財」や「国宝」になったというわけではなかったため、多少ややこしい事態を招くこととなった。つまり海外に流出させることは原則禁止という縛りは残ったのである。

例えば、中国の古い茶碗に重要美術品の指定書がついていたとする。これを売却したいが、高値で売るには海外の有名オークションにかけるのが一番得策とした場合、指定書が邪魔になる。この場合は、認定を取り消してもらわないといけない。

ちなみに国内で確認される「重要美術品」の件数は、文化庁の公表が無いため推定となるがおよそ6000件ほどとされる。

美術工芸品カテゴリにおいて

「重要文化財」に関しては、9911件(2020年9月時点)

「国宝」に関しては、897件(同上)が認定を受けている。

件数からすると、「重要美術品」の方が少ないが、現行法の基準で考えるとあくまで正式に文化財と言えるのは「重要文化財」と「国宝」のみ。また、認定基準も戦前と戦後では違うので「重要美術品」の指定書を極度にありがたがって大枚を叩くのは間違いの元かもしれない。(貴重なものには違いないが)

5,文化財オーナーの義務

首尾よく文化財のオーナーになれた場合、一定の責任が生じる。下記のリンクは文化庁が発行している「国宝・重要文化財の所有者のための手引」である。

https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/yukei_bijutsukogei/pdf/shoyusha_tebiki.pdf

主に管理義務が中心となるが、名義変更など書類上必要なものが多い。これは現所有者を文化庁が把握する上で必要なことであり、まさに文化財保護の政策上大事なポイントとなる。こうしたものを自宅で保管するのは不安がつきまとうので、美術館や博物館に寄託するケースもあるが、その際も「所在地の変更の届け」は必要となる。修復の際も届けでは必要である。

ちなみに重要文化財指定を受けると「重要文化財指定書」が発行される。表面には当該文化財の具体的な内容が記され、裏面には所有者記入欄がある。(つまり所有者の履歴をここで把握できる)

5,行方不明の文化財を追う

大日如来

鎌倉時代の仏師、運慶の作品とみられる木造大日如来像が2008年3月18日、ニューヨークの競売商クリスティーズで競売に掛けられ、日本の大手百貨店の三越が1280万ドル(約12億7000万円、手数料除く)で落札した。クリスティーズによると、日本の美術品としては過去最高、仏像としても世界最高の金額という。
 運慶は鎌倉初期を代表する仏師で、東大寺南大門の仁王像をはじめ、作品の多くが国宝か重要文化財に指定されている。文化財保護法によれば、指定文化財の国外への持ち出しには文化庁長官の許可が必要だが、この仏像は確認から日が浅いこともあり、こうした指定を受けていなかった。運慶の作品が国外で取引されるのは初めてで、海外流出の恐れが取りざたされていた。
 落札された仏像はヒノキ製で、高さ66.1センチ。割矧造(わりはぎづくり)と呼ばれる手法で制作されており、表面は金で彩色されている。作風などから運慶が鎌倉初期の1190年代に手掛けた作品とみられる。現在の所有者が2000年に北関東の古美術商から入手したとされ、03年に東京国立博物館の調査で運慶作の可能性が高いと判断された。
 この日の競売には内外から応札が相次ぎ、落札額は予想価格(150万~200万ドル)の6倍以上に達した。最後は三越と米個人収集家の一騎打ちとなったが、三越が制したことで、海外流出の危機は逃れた。(時事通信社ニュースより)

この記事の内容をもう少し掘り下げてみたいと思う。

2000年、当時40代前半のサラリーマン(外資系企業勤務?)が北関東の古美術商より仏像を35万円(これは当時業界でうわさになっていた数字で根拠はない)で購入。

清泉女子大学教授であり国立博物館教育普及室長でもあった山本勉氏がこの仏像の情報を得て(経緯は不明)調査、研究に乗り出す。

2004年3月13日、栃木県足利市の足利氏菩提寺(足利氏2代目の足利義兼が創設した)であった樺崎寺(廃寺となり現在は国指定史跡に指定)の御堂法界に安置されていたとされる運慶作木造大日如来坐像が発見とニュースになる。足利市文化財専門委員会によると市内の光得寺に保存されてきた国重要文化財の運慶作の大日如来坐像と、今回の像が酷似していると指摘。「樺崎寺に安置されていた坐像の可能性が極めて高い」とした。

同時に山本勉氏も調査・研究の結果、運慶作のものと断定。

研究成果が発表の後、大日如来像は東京国立博物館に寄託され、2004年4月6日~6月30日「常設展示 新発見の運慶作の大日如来像と光得寺の大日如来像」で公開される。

2004年4月17日には東京国立博物館にて山本氏による「月例講演会 建久年間の運慶と大日如来像」が開催される。

所有者曰く、個人で所有するには荷が重いと判断。国に買い取りを求める。

文化庁も重要文化財指定を視野に買い取り交渉に応じるも金額面(文化庁は3億円の予算を提示、対して所有者は8億円の売却額を提示)で折り合い付かず。(因みに重要文化財指定されると「文化財保護法」が適用され海外へ持ち出しが不可能となる)

2006年、所有者から国外持ち出しを前提に、指定文化財でない証明を求める申請が文化庁に出される。(おそらくクリスティーズでの売却を計画したため)

競売前には足利市の市民らが海外流出を防いでほしいと約一万三千人分の署名を集め、文化庁に提出。渡海紀三朗文部科学相は先月、「非常に残念だが(競売を)止める手段がない」と表明。

オークションではアメリカ人個人コレクターとの最後は一騎打ちとなり、最終的に「三越」が落札。エスティメート150〜250万ドル(約1億5000万〜2億5000万円)をはるかに上回る10倍近い値でハンマープライス。手数料も含んだ購入額は1437万7000ドル(約14億円)。

都内の宗教法人「真如苑」が仏像の所有を表明。

オークションの結果を受け渡海紀三朗文部科学相がコメントを発表。
「わが国の重要な文化財が海外に流出しなかったことに安堵している」

結局、運慶の大日如来像は海外に流出せず、その後無事「重要文化財」指定された。

さて、この話で問題になるのがこの大日如来像は「重要文化財」はおろか「重要美術品」にすら指定されていなかったという点である。おそらく文化庁側がこれほどの仏像の存在を知りながらノーマークで通すとは思えない。つまりこの仏像の存在自体全く無に等しいものであったはずだ。樺崎寺に安置されていたという説は、仏像のクオリティから逆説的に導かれた推論であろう。

廃仏毀釈というイベントがなければただの笑い話で済ませるのだが、そうはいかないのが歴史の難しいところだ。この仏像が本来あった場所から離れてしまったのは、そういった歴史の一大転換期を背景としたものかもしれないし、もっと他の理由があるのかもしれない。

このサラリーマンとされる人物は明らかに安価な価格で購入している。プロの美術商ならこのクオリティの価値がわからないはずもなく、もし私が美術商でこうした仏像を所有しているなら、プロのみが出入りする東京の交換会(オークション)にでも出品するであろう。その方が明らかに高値で売れるからである。そうした手段を取らず素人のサラリーマンに安価で売ったという行為自体が理解できない。

文化庁の対応にも不思議な点がある。それは海外に持ち出す許可を与えてしまったという点だ。文化庁の提示した3億円という金額も個人的には妥当な線だと思っている。往々にして文化庁は新規の文化財購入にあてる潤沢な予算を持っていないものだ。(これは税金で賄っているので致し方ない)しかし、交渉が決裂するのと重要文化財指定は別の次元の話のはず。そこに踏み込めなかったのには事情があるのであろうが、興味深い話ではある。

問題はクリスティーズが一枚噛んでいるという点。どういう経緯でクリスティーズが絡むことになったのかは不明だが、商業ベースで考えればこの仏像を海外のオークションで大々的に宣伝するのはまっとうな行為であろう。日本美術のレコードを作り、そのクオリティを知らしめる。そういった点でも、クリスティーズの目論見は見事に成功したといえる。(しかも実際エスティメートよりはるかに高額なビットになったためしっかりと利益を確保できた)

しかし、海外流出の危険性は最後まで残ったと言わざるを得ない。もともと文化庁がノーマーク出会った程度の幽霊のような仏像なのだから仕方が無いと言われればそれまでだし、一方で幽霊だと思っていた仏像が出現した以上は国外流出は避けたいとする文化庁側の動きも理解できる。

結局、当事者以外は蚊帳の外というわけだ。しかし、これが現実である。

最後に行方不明の文化財における状況を紹介して今回のコラムを終えることにする。(下記のリンクを参照)

https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/torimodosou/kunishitei/

国宝の所在不明件数
2021年3月時点の文化庁の最新の調査結果により、2014年7月時点で国宝を含む重要文化財に指定されていた美術工芸品10524件のうち、個人所有者の転居・死亡・社寺などからの盗難などにより所在不明と判明したものが142件(国宝0件)、追加確認が必要なものが50件(国宝7件)となっている。所在不明142件のうち文化財種別件数では、工芸品78件(うち刀剣72件、うち盗難5件)、書籍・典籍23件(うち盗難1件)、彫刻15件(うち盗難12件)、絵画14件(うち盗難6件)、古文書10件(うち盗難3件)、考古資料2件(うち盗難1件)で、理由別件数では、所有者転居43件、所有者死去35件、盗難28件、売却9件、法人解散2件、不明など25件だった。このうち1950年(昭和25年)の文化財保護法制定以前に所在不明になったのが97件、以後が45件であった。文化庁は2021年3月時点で所在不明だった重要文化財142件の詳細を公表している。


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