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私を生きる 誕生秘話後半

 実は、30歳でサロンを持った後に、お世話になっている叔母から相談がありました。「実は、小梅ちゃんのママが、小梅ちゃんと一緒に暮らしたいって戻ってきてるのよ」

 母がどこから戻ってきたのかはわかりませんし、私と一緒に暮らしたいと申し出るような人なのかもわかりませんが、ようは頼れる男性もいなくなり、住む家も、お金も無くなったから優しい叔母を頼ってきたのだと思いました。しかし、叔母は7名の子沢山だったので、面倒を見ることができないと判断し、それでもなんとか母を助けようとして、先の台詞となったのだと思います。

 「過去のことは許してあげて、ちょうど小梅ちゃんの子供もいるんだから、孫のお世話をさせて、小梅ちゃんは仕事に集中したらいいんじゃない?」と説得されました。
 私は叔母の口から「許す」という言葉を聞いた時に、私は母を許していないのか?と妙な気持ちになりました。許すとか憎いとかそうゆうことではなく、なぜ愛されなかったのか?私のどこが悪かったのか?なぜ弟は連れて夜逃げしたのに、私だけ置いていかれたのか?それらの疑問が私をずっと苦しめていただけで、許すもなにも、そうゆう気持ちを持ったことが無かったことに気付きました。

 私はただ普通に、親から愛されたい子供だっただけです。

 正直、何度も捨てられ、当てにできないこと、期待できないこと、何の見返りもないどころか、お金を盗まれたりもしてきたので、一緒に暮らすのは勇気のいることでしたが、2歳の長女の世話、忙しくなってきた仕事、食事の用意など、確かに人手があった方が楽だと思い、一緒に住むことを受け入れました。
 でも、一緒に住もうと思った一番の理由は、私の目の前に座っている人が、人生に疲れ果て、薄幸そうな顔をし、申し訳なさそうに座っている女性で、忍びなかったからです。

 母親と私と私の子供、女三代の生活が始まりました。私はトータルの人生で母親との暮らしが数年しかないので、お互いに遠慮しながらの、他人行儀な感じだったと思います。いえ、たぶん私の態度は、ちょっと意地悪だったと思います。ようやく優位な立場になれたから、これでもうむやみに傷つけられることはないと思え、強気になったのだと思います。ちょっとした過去の仕返し気分。

 仕事も順調で、母がエプロンを着け、母親役をするのを久しぶりに見ることができ、「この人が私のお母さんなんだよなぁ」と、不思議な気持ちになったりもしていましたが、いがいと幸福でした。

 そんなある日、私に子宮がんがみつかり、病院を2軒回り緊急に手術をすることを進められました。年齢が30歳ということもあり、部位も進行が早いところだからだそうです。

 私は、「やっぱりな」って思いました。変だけど、「ほ~ら、私の人生ってこうなんだよ」って思ったのです。

 お客様の霊視をして、健康や幸福になるお手伝いをしてきても、「どうせ私はこうなんだよ」と思いました。
 私はどこかでいつも、人は幸せになる価値があるけれど、私には無いと思い込んでいました。

 どうせ死ぬかもしれないなら、今までどんな答えが帰ってくるのか怖くて聞くことができなかった疑問をぶつけてみよう!と思いました。その日の夕飯、女三代で食卓を囲んでいたときです。「ねぇ、○○さん、なんで、○○さんは、私を何回も捨てたの?」と思い切って質問しました。母は、私の顔を見ることもなく、食事のお箸を止めるでもなく、モグモグしながら、「だって、あなたなら大丈夫だと思ったのよね~」と答えました。

 えっ?なになに?こるぁ~、なんだその軽い答えは!
 私には「小梅ちゃん、これも美味しいよ」としか聞こえませんでした。

 その時、私がつい口から出たことば想像つきますか?

「この人、本物の(ピー)だったんだ…」ピー1:天才、ピー2:馬鹿、ピー3:オカマ さぁ、私が選んだ言葉はなんでしょうか?

 いやぁ、私、何十年苦しんできたんだろう。なんのために苦しんできたんだろう。母の返事で頭がくらくらして、何がなんだかわからなくなりました。

 そうか、苦しんできたんじゃなくて、自分が自分を勝手に苦しめてきたのかもしれない!母から愛されていない子供って自分で決めていたしね。母の返事を解読すると、「小梅さんなら、頭もいいし、健康だし、強いお人だから、捨てても立派になられると思っていました」ってことだよね。

 小梅、覚醒の瞬間です!でも…子宮がんはどうしよう。母に相談したら「あなたなら、大丈夫じゃな~い」と返事がくることでしょう。

 母のおかげで(って言いたくないけれど)すごく重要なことに気がつくことができました。
 幸、不幸を決めているのは、何があったか無かったかの出来事ではなく、その出来事からその本人が何を思い込み、人生の教訓にしてしまったのかということです。

 子供の頃に、一度でも決めてしまったことを、いくつになっても改訂することなく、ずっと持ち続け、その決め事から人を判断し、人生の選択をするのです。

 さらに、記憶のあることならまだいいけれど、記憶の無い、奥の奥にいったい何があるというのさ?

 私が男性とうまくいかない理由は、尊敬でき、私を守ってくれる男性に出会うことがなかったから(実父も含め)。

 私の幸福下手、不幸好きは(これはだいぶ後に気がついた驚愕の事実)自分は幸福になる価値がない、愛される存在ではないと硬く信じてきたから。

 そして、子宮がんは?

「私を生きるセラピー」の誕生秘話、あと1回で完結です!また明日!

ありがとうございます。あなたにも、神様からのサポートが山ほどありますように💕