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Here Comes The Circus

「グレイテスト・ショーマン」見てきました。スーパーネタバレタイムなので、未見の皆様は以下読まないことをおすすめします。よろしくお願いしますね。また、まだ一度しか見てない状態で書いてるので、見落としによる誤解などはあるかもしれません。それはすみません。

グレイテスト・ショーマン、ミュージカル好きだしヒュー様とザック好きだし最高!で観に行ったんですが、思いがけず考えることがたくさんたくさんある映画でした。

まずなにはともあれ歌はすごく良かった。

特にThis Is Meは完全にボロ泣きしながら見てたし(ウォータープルーフのマスカラでよかった)(いつもしないマスカラこういうときばっかつけてる)

久々に歌とダンス披露してるザックも見れたし、ヒュー様はかっこよかった(かっこよかった

あれこれ考察したことを書く前にイメコンっぽいことを言うと、

ザックはPDナチュラルなのかな?って思いました。タキシードや最後の軍服?があんまり…だなって思って。ラフなTシャツ姿のときの魅力はどこへ!

逆にヒュー様はグレースかロマンスなのかなというぐらいの軍服姿の様になること!レミゼのときも思ったけど時代劇の格好似合いますよね最高。

そういうわけで、思ったことなど。

いろんな思いとか疑問が交錯してどこから書けば…というかんじなのだけど、大枠4つぐらいポイントがありそうだなと思ってます。

①時代背景について

②本物と偽物について

③人種差別などについて

④バーナム氏と物語について

⑤追記:歌について

①時代背景について

時代の説明があんまりなくて、服装、街の雰囲気、食べ物、馬車ぐらいから、車はまだなくて、近代、戦時中ではなさそう、みたいなことだけわかりました。で結局いつのタイミングなの?っていうのが結構疑問で、なんでかっていうとこのぐらいの時代のアメリカで市民の意識を大きく左右したのが奴隷解放運動だからです。この話って、それより前?後?

まあ、前でも後でも、キング牧師以前だったらあんまり変わらないのかも。そしてキング牧師以前であることは間違いないんだから、それでよかった…のか?

どこが一番引っかかったかというと、フィリップとアンの恋のところでした。特に劇場でデート未遂するところ。

黒人で、女性であるアンが、ひとりで劇場に言ってなにも言われずにチケットを引き取ることができる(予約はバーナム氏の名前だったけど)のもすごいし、フィリップの両親が「Phillip, have you no shame? To associate yourself with that Barnum business is one thing... but parading around with that elf.」(バーナムみたいなやつの仕事に関わったり奴隷みたいなやつと一緒にいたりして恥ずかしくないのか)って言うところ、いやなんていうか、ソフトだなあって…。字幕のせいかな?

フィリップは別に差別撤廃主義者としては描かれていないし、アンに惚れただけでなにも関係は深まっていないのに両親に向かって「最低な言い方しやがって」って歯向かえるの、結構良くも悪くもすごいと思いました。良く言えば素直な人物だし、悪く言えば脚本が陳腐だったなと。この辺の人種差別がメインテーマの恋愛もので、人種の壁を越えて本当にいろんな困難をふたりで乗り越えてそれでも親がそんなことを言ってきた時に出てくるようなセリフじゃない?って思ってしまった。今回もその波風を事前に描いてくれたら納得いった。時間の都合上そんなわけにゃいかんのだけど。

これって、The Other Sideでバーナムがフィリップに訴えている、解放されるべきしがらみとかなんですよねきっと。そこからの流れだから、違和感がないようにできてる。

んだけど、そこそもその解放されるべきしがらみに、そういう人種差別的な考え方って含まれてたの?いつの間に?私わからなかった!見落としたかな!The Other Sideは上流階級と庶民の壁の歌だと思って聞いていたから、私のなかでははてなが飛び交う流れになってしまいました。

なんで上流階級と庶民の歌かと思ったかって、それはショーの話のところで「本物」と「偽物」の話をしていたからなんだけど…こうやって思考が遡っていくのね。と思いながら次を語ります(長い)

②本物と偽物について

日本語の字幕だと、本物と偽物、って書かれ方をしてましたね。英語はどうだったかなとスクリプトを見てみたんですけどだいたい同じですね。これねー見てるときはなんかあんまりピンとこないことばだなって思っていて、単に上流階級の人が見る芸術が本物、庶民のものは偽物という単純な分類のように思えていたんだよね。もう少し深掘ると、バレエをやってる娘ちゃんが言っていた「Ballet takes years of hard work. It's not like the circus. You can't just fake it.」(バレエで一流になるには何年も努力しないといけないの。サーカスとは違うんだから。ただ騙せればいいってわけじゃないの)というセリフに尽きるかなと思っていて、つまり「訓練と修行を積んだ先の尊敬されるべき技術と表現であるところの芸術」が「本物」で、「ポッ出の素人でもできるだまくらかしのなんか楽しいやつ」が「偽物」。これは観ている最中すごく納得がいっていて、そうだよねーこれって現代においてもまだ平行線で行われている議論だよなって。ピンとくるところでいうと、クラシック音楽とポップアイドルミュージックみたいな。だから、なんていうか、The Other Sideは、すっごい例えばだけどクラシック音楽の寵児五嶋龍氏(フィリップ的ポジションとご想像ください)のことを、ポップアイドルミュージックを自在に操る秋元康氏(バーナム的ポジション以下略)が「クラシックだけにしばられないで自分がやりたいと思う表現でとにかく客を感動させたら良い!そして金を稼げればいいじゃないか!」って誘ってる歌だったよね?(すっごい語弊ある)

だから、The Other Sideに人種差別の壁の話が含まれているだなんて思いもしなかったわけです。(まあそれは上で語ったからもう書かない)

それでね、帰路につきながら考えたり調べたりしていた、やっと腑に落ちたのね。本物と偽物って、ハイカルチャーとポップカルチャーのことだったんだね!!!!!!完全に上のクラシックとアイドルの話であってた。

ポップカルチャーは大衆文化って言う方が私はなんとなくしっくりくるんだけど、この「大衆文化」をきちんとまとめあげて形にしてアメリカに広めたのがバーナム氏なんだよね。サーカスを今私たちがイメージするサーカスという形で興行的に成功させた広告宣伝の天才、みたいな人。だから、そうだよね、そりゃあ上流階級のお客さんは来ないわけだよ最初!でも、フィリップがそこに関わることでどんな弊害があるか、どれだけそれが奇異なことなのかっていうのはあまりちゃんと描かれてなかったように思う。ただとにかくなんかなんとなく「上流階級が下々のものと関わると眉をひそめられるんだな」ってことは伝わった、みたいな感じ。そこからの人種格差恋愛だったから、もう、何段も階段すっ飛ばしちゃったような違和感を、覚えたのでした。

③人種差別などについて

それでね、また思考は遡っていくのですが、人種差別などについてです。肌の色、体型などなど、現代ではそれを見世物や笑いにするのはタブーとされているような題材で、この時代のバーナム氏は興行的に成功したんだよね。だからなんかちょっとどっちつかずだったような印象があって、観ていて困ってしまった。

バーナム氏は、一風変わった人々を見世物にしている。これは当時は差別とすら扱われなかったし、バーナム氏は「そういう人たちが正当に評価される居場所を作りたい!」みたいなモチベーションがあるわけではなく、普通に「ショーとして成功させたい、興行主として成功したい」という一点のみがあると思った。

一方、集まった「ユニークな人々」自身は、変な目で見られたり省かれたりしない居場所ができたというのは実際本当に嬉しく、大事なことだっただろうなと思う(当時でもね)でも、バーナム氏は彼らに差別をなくすぞと宣言したわけじゃなかったし、「変な目で見られなくなる、みんな笑ってくれる(喜んでくれる)ぞ」っていうところを約束しただけだった。

バーナム氏は興行的な成功がモチベーションだったはずなのに、みんなに「ここが居場所であり家族なの、あんたまで見捨てないで」と言われて突然改心(?)するバーナム氏 最初は興行的だったけど、みんなの様子を見ていたらなんかここってホームなんだな、これって大事なことなんだなって気づいていくみたいな過程なかったから、すごく惜しく感じた。それに気づいてたのはフィリップのほうだったね。気づくまでの過程はバーナム氏の場合と同じくなくて、いつの間にか気づいてる役割になってたけど。

というかそもそも南北戦争前って、奴隷は人間じゃなくてモノ扱いなので、「俺たちの街から出て行けフリークども〜!」みたいなレベルじゃ済まなくない?公開している現代という時代背景的に、この問題を完全に時代考証どおりにして映画を作ることはできない(というのはわかる)(時代劇すらアジア人いるもんね最近)んだけど、うーんちょっと軽く扱いすぎじゃないかな、という印象を持ってしまった。

火事のあと、評論家の彼がなぐさめのことばを言いにやってきて、バーナム氏のショーは自分の好みではないけれど、とは言いながら褒めてくれるじゃん。a celebration of humanityって。これが南北戦争前の時代の人間から出てくることばだったら、本当に、世界はもっと早く動いていたんじゃないかと思うよね。実際はきっとそうじゃなかったから今こうなので、これは現代に合わせたセリフなんだなとは思うけど、結構好きなことばだった。

それでね、こういう時代だっていうことを踏まえて、This Is Meです。正直歌にはめちゃくちゃ感動して、今の自分の置かれている(仕事とかね)状況と煮ててめちゃくちゃ刺さったし号泣しながら聞いたんだけど、でもこの時代、この考え方の世の中で、This Is Meのように奮い立っていくことって、なんだろう、そもそもできたんだろうか?時代が彼らに追いついてなくない?バーナム氏に対してそういう気持ちを訴えるとか、街やパーティーの会場を除いて自分たちの舞台でその気持ちをぶつけるとかだったら、時代背景ともマッチした奮い立ち方だったんじゃないかなあ。しかしとにかく泣いた。帰路サントラ聞いててまた泣いた。

④バーナム氏と物語について

この人、良い人なのか普通の人なのか、どっちつかずな人だった。ヒュー様のイメージに引きずられて、良い人だろうという先入観で見ちゃうみたいなとこはあったかもしれない。映画の予告も、想像力だけでショーを作り上げた男みたいなかんじだった(と記憶している)し、類まれなる想像力を駆使して困難を乗り越えて一世一代のショーを作る話のかな、って思ってたんだ。あんまり前情報入れてなくて。そういう話ではなかった。類まれなる想像力じゃなくて発想力でものすごくうまくマーケティングをしてショーを成功させた男の話だったな。叩かれた新聞持ってきたら半額なんてすごい訴求力だなって思ってしまった。行くわーそんなん。

バーナム氏は出自のいろいろもあるから上流階級に対してのコンプレックスがすごい、というのは冒頭の導入からよくわかってはいたけど、結婚後ショーのことがはじまってからはその様子がまったく見えずもうコンプ解消したかな?ヒュー様笑顔だし仕事楽しそうだし解消したのかも!とか思っちゃったよ安心して見てたよ。そしたら奥さんの親に絡むじゃん。まじか。おま。そんな。成功しても成功してもコンプ消えない!っていう葛藤はどこいっちゃったの!それが見たかった!いけず!

火事のあと、ショーに出ているみんなから言われてすぐに気持ち入れ替えちゃうのも、早い、早いよ!って思ったし、みんなもすぐにバーナム氏受け入れてて誰かひとりぐらいいやそれでもゆるせねえ!っていう人いないん?って思ったし、そのあたりの急展開はちょっとついていけず。クローズに向けて急速にきれいにまとめだしましたね!という。

そんな調子で、随所で「どっちつかず」な部分が見受けられて、この映画結局何がいいたかったんだろう、どこがポイントだったんだろう?が最終的な感想でした。

・歌とダンス!ショー!エンターテイメント →ならもっと人種差別なんて振れないとにかく軽い物語でよかった

・バーナム氏のコンプ解消と家族の物語 →これも人種差別問題いらなかった

・人種差別などなどの「自分の居場所」の話 →バーナム氏のコンプ問題いらなかった

たぶんだけど、今だったら絶対に許されない「体の特徴を揶揄した興行」がテーマだから、「それぞれの居場所」みたいなふうにオブラートに包んだ結果こういう半端なことになったのかな?と予想してます。そういう創作のつらさはある気がしてる。

⑤追記

すっかり忘れてた歌について。
楽曲だけを聞けば、それはもう文句なく素晴らしかったんです。

でも、曲調ポップすぎない?というか、2017年風の曲すぎない??こういう曲たくさんヒットチャートに上がってるけどミュージカル的でもなければ19世紀的でもなくてまじかーーー全然話に入り込めねーーーーーってなりました。ダンスもしかり。かっこいいんだけど、新しすぎというか。

The joy was real.

ただ、ここまで考えてものすごく思っているのは、どっちつかずだったし中身ないな?!って思ったりしたけど、そう感じた私は少数派の観客で、「面白かった!歌すごかった!!」ってわくわくして楽しんだ観客がたくさんいてヒットしててお金稼げてるなら、バーナム風に言えば成功だよね…!ってことです。The joy was real.(ショーがなんであれ)お客さんが喜んでいることは真実じゃん、って。だから、これがこの映画の最良なのかも。すごい。バーナム氏すごい。巧みである。

自分的に刺さったところ

映画自体の批評というか考察というか感想は以上なのですが、それでもボロッボロ泣いて観てたんですよ。刺さるところがあった。

・(中身がなんであれ)お客さんが喜んだらそれが成功じゃん

→これね、ちょうどもうこの1年半ぐらい、ずーっと命題として抱えていることなんです。会社で。中身が完璧じゃなくたって、とにかくユーザーが喜んでくれるならば、それは成功だよ、と。なかなか腑に落ちなくて。だからすごいグサグサ刺さった。

・This Is Me.

自分がいるコミュニティに溶け込めていないような異質感をずーっと抱えていて、特に会社に入ってからはそれが強くて精神的にまいったりするときもあり、今の会社はそこを認めて割りと自由にやらせてくれるんだけど、それでもあーあってなるときはたくさんある。っていう、最近特にその波が激しい時期だったから、この歌、本当に、えーーーほんとに私でいいの、いいのか、そっか、いいんだ、私がやるんだからお前見とけ!って胸を貼っていいんだ、えーすごい、なんて強い歌だろう、すごいなあ、って泣いた。もうそれはそれは泣いた。

・This is a wishing machine.

最も印象的で、最も象徴的で、最も幸せで完璧だと思ったシーン。屋上の洗濯物の間で、手元に持っているものをさもとってもすごい宝物かのように、その場で物語を作り上げてこどもたちに見せてあげる父親。画もきれいで、幻想的で、素晴らしかった。類まれなる想像力を持った男の真髄ってこれだって思った。それが大きくなって広がって一世一代のショーになるんだって期待したね(ちがったけど)最後になにかこのシーンにつながるものを散りばめてくれたらあったかい気持ちになれたかもなあ。もしかしたらなにかあったかな?見落とした可能性は大です(一度しか見てない!)

おわりに

こんなに映画の感想書いたの生まれて初めて。ちゃんと読みやすくまとめられないけど、思うところのたくさんあった映画でした。もう少し心が大人になったらまた見たい。そのときどんなふうに受け取り方が変わるかは、結構楽しみでもある。

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