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アバターコンプレックス【VR社会の未来】

はじめに

「好きな姿で、生きてく。」

バーチャルが浸透した世界では、肉体に縛られず好きな姿を選択して生きていくことができる。皆が美少女や美少年、動物や獣人など「自分の望むアバター」になれる。それはまさに理想郷。


「本当に幸せだけだろうか?」


そんな理想郷にも問題は潜んでいる。今回は、その理想郷に起こるかもしれない現象「アバターコンプレックス」説いてみようと思う。

前提として、勿論私はアバター社会を全く否定するつもりはない。敢えて今回の話題を扱うことで、より良い未来に繋げたい。本記事を元に様々な意見が生まれるといいなと思っている。

ファッションセンスとアバターセンス

人間は生まれ持った肉体をベースに化粧や服装など、カスタマイズ可能な部分をファッションとして自己表現している。現実世界では、これを「ファッションセンス」と呼んでいる。

バーチャル世界では肉体の制約が無いので化粧や服装、そして身体まで自由に自己表現できる。これを、現実世界のファッションセンスに対して「アバターセンス」と呼ぶことにする。

自己表現の度合いを数値で表してみると、現実世界のファッションセンスは肉体部分が変えられないので60%。対してバーチャル世界のアバターセンスは制約がないので100%だ。

バーチャルは、現実での不変な肉体の40%分も変えられるのだから、コンプレックスは存在しない。それがバーチャルにおける「好きな姿で、生きてく。」を指している。

ただ問題は、変更可能な領域にもセンスの差が存在し、そこにはコンプレックスが起こりうるということだ。

アバターへの愛の深さ

自分のアバターが、自分にとっての究極の理想形であって、自分の価値観では宇宙一(可愛い/カッコいい/etc)存在である。

センスは一旦忘れるとして、人は人/自分は自分、比べなければ良いのだ。ただ、それでも気持ちが揺らぐ瞬間がある。

それは「愛の深さ」を感じた時

あくまでこれは、個人的な実体験の話に基づく一説だ。共感する人もいると思う。そのエピソードを共有する。

私はあまおかというオリジナルアバターを持って活動している。アバターには思い入れがあるし、理想の姿だ。「身近にいそうなお嬢様」がコンセプトで、望み通り作ってもらった。アバターに対して何の不満も全く無い。この前提で聞いて欲しい。

ある時、知り合いにその人自身のアバターを紹介してもらう機会があった。その場で彼女は「こういう設定の、こういう性格で、だからこういう髪型や身なりをしていて、髪の色はこうで、髪飾りや服装は〜」とアバターについてかなり深い愛情をもって語っていた

私も前述の通り自分のアバターにコンセプトは持っている。それでも、その彼女の「愛の大きさ」にうろたえてしまった。

私はそこまで、自分のアバターを熱く語れない…

アバターのコンセプトを聞いて、ちょっと羨ましく思ってしまった。自分にはそれほどのコンセプトに深さはない…。その「愛の深さ」にコンプレックスを感じてしまったのだった。

アバターコンプレックスを生まない為に

勿論、比較することでもないし、比較しなければいい。ただ、それでも自然と感じてしまうのだ。自分のアバターをもっと愛せれば良いのだが自発的にそれを高めるのは難しい。

では、そのようなコンプレックスを生まないアバター社会にする為にどうするべきか。それは「他者を承認すること」だと思う。

自分でコンセプトの多くを語れなかったとしても、他者からの「そのアバター可愛いね(カッコいいね)」という言葉が愛を深くする。自分に自信がない人も、人に褒められることで自然と愛着が深まっていく。事実、私も「え!すごく可愛いじゃん!」と言われて自信を持てた経験がある。

さいごに

好きな姿になれるバーチャルだからこそ、お互いを認め合って楽しい世界にしていきたい。ぜひ、次にバーチャルで誰かに会うときには相手のアバターをちょこっと褒めてみよう。皆が「好きな姿で生きてく」為に。


あまおかが鶏肉ではなく牛肉で、ちょっと贅沢できます!