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無職の私が同窓会で感じた、“多数派のレール”

昨日、高3のときのクラスの同窓会に参加しました。

そこで私が感じたことや、参加したことで見えてきた自分の変化について書こうと思います。




高校卒業から約7年。ほとんどの人が大学に進学し、コロナ禍での就職だったため、社会人になった元クラスメイトと会うのは初!不思議な気持ちでした。

仕事終わりにスーツで参加していたり、地方から(恐らく同窓会のために)戻ってきていたり…

全員と話せたわけではありませんが、表情や振る舞いから「各々いろんな経験をしてきたんだなぁ」と感じました(本当は一人ひとりの話をもっとじっくり聞きたかった!)。

わいわいした空間もたまには楽しいけれど、やっぱり私は、お互いの話にじっくり耳を傾ける時間が好きだと再確認できました。


参加を決めた背景

私の現状は、無職です。アルバイトもしていません。少し前の自分なら、近況の言いづらさから、参加をためらっていたと思います。

ここでの言いづらさというのは、一般的なレールから外れたことの気まずさや、みんなは苦労しながら働いているのに、自分は親に頼りきりであることの後ろめたさなどです。

ですが今の私は、それらがあまり気になりません。

特別だめなこと、良くないことと思わず、「自分は今こんな感じだよ」と言えばいいと思えるようになりました。
 

①突き付けられた“社会の規範”

とはいえ、久々に会ったみんながあまりにちゃんと社会人をしていて、正直戸惑いました。

みんなといっても全員と話せたわけではないから、いわゆる社会人という働き方・生き方をしていない人もいたかもしれないし、「うつの一歩手前まで行った」「前職が大変で転職した」など、紆余曲折を経ての今であることも知りました。

でも、「今なにしてるの?」という質問にすらすらと答える元クラスメイトたちを見て、大学に通い、就職し、しんどさもありながら適応して働くという社会の規範のようなものを感じずにはいられませんでした。

今でこそ社会の規範通りじゃなくてもいいと思えるようになりましたが、ここまで来るのに随分時間がかかりました。

一般的とされている生き方ができなくならない限り、王道ルートを疑うことはなかっただろうと思います。

②想像するきっかけになったらいいな

「今なにしてるの?」に対する「なにもしてないんだよね」という私の返しに、少なからず戸惑うクラスメイトもいました。

身近に精神的な不調で働けなくなった人がいれば違うかもしれませんが、そうでなければ「みんな働いている」という前提で質問をするのも無理はありません。

かつての私なら、「困らせてしまった」「テンプレートからずれてしまって申し訳ない」などと思っていたと思いますが、昨日は(多少は思いつつ)あまり動じずにいられました。

私は自分の状況を伝えただけ。それに対してどんな反応をするかは、相手の問題というか、相手が決めることだと思えるようになっていました。

誰しもなにかしらの前提をもとに物事を考えていると思います。その前提が少しでも揺らぎ、「もしかしたら、なんらかの理由で働いてない人もいるかもしれない」と想像するきっかけになったらいいな、と思いました。

③「そういうもん」を壊したい

「前提が揺らいで想像するきっかけになったらいい」もそうですが、私は、「そういうもん」と思われていることを壊したい気持ちがあると気づきました。

最初の飲み物を頼むとき、ほとんどの人が生ビールだったので、それ以外のオーダーをメモして注文してくれました。

「生じゃない人~」という問いかけに答えるのは結構気力を使うし、手間をかけてしまって申し訳ないから、私も生でいいかな…と一瞬迷いました。

ですが、あまり得意ではないものを無理して飲むのは違うと思ったし、「全員生でいいよね」という空気になってほしくもなかったので、私はレモンサワーを貫きました。

そういう空気を作るタイプの人たちではありませんが、声の大きい人たちの何気ない一言が、良い方にも悪い方にも空気を変えてしまうから、せめてもの抵抗というか、自分の意思表示だけは諦めないようにしたいと思いました。

また、別の卓では恋愛の話題にもなったようで、恋人の有無や結婚について話していたようです。

以前の私なら特になにも気にならなかったと思うのですが、昨日の私はモヤモヤしました。

こういう場でのこの話って、「異性を好きになる」などの様々な前提のもとに成り立っているんですよね。

そもそも私は性別なしがしっくりきていて、女という枠にはめられることに違和感があるので、恋愛の話特有の男と女という前提があまり心地よくありません。私は、恋人との関わりも人間関係のひとつと捉えていますが、飲みの場でそのような細かいニュアンスを話すことは困難です。

あの場にも、もしかしたら似たようなモヤモヤを抱えている人がいたかもしれない。違和感や不快感がありつつ、場に合わせてリアクションをしていた人がいたかもしれない。

実際のところはわかりませんが、飲みの場では、あらゆることが雑に、平らにされてしまう印象を受けました。

場の特性上ある程度は仕方がないとも思いつつ、せめて自分だけでも、なるべく前提を疑いながら接したいと思いました。

と言いつつ、私の中にもいろんな前提がこびりついていて、無自覚にだれかを傷つけてしまっているかもしれない。完璧なんて無理だけれど、少しずつ意識的になれたら、と思っています。


この場に参加したことで、クラスメイトの近況を知ることができたし、いろいろなことを考えるきっかけになったし、なにより自分自身の変化に気づくことができました。

地味ではあるけれど、捉え方心の状態が確実に変わってきていると感じられて、嬉しくなりました。

自分の内側に目を向けることの大切さを、高校生の頃の自分に伝えたくなった同窓会でした。


音声もあります↓


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