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♯24 算数を創る①

 24回目の投稿となりました、天治郎です。今回からは、私の研究テーマである「算数を創る」ということについて、論じていきます(誰得?)。少しお堅い話が続くかもしれません。

(1)人間の強みと算数

 今の子どもたちやこれから誕生する子どもたちが成人して社会で活躍するころには,グローバル化の進展や絶え間ない技術革新等により社会は大きく急速に変化しており,今以上に予測が困難な時代となっているであろうことが予想できます。また,「ChatGPT」等に代表される人工知能(AI)の飛躍的な進化に伴い,学校において獲得する知識にも大きな変化をもたらすのではないかとの予測も示されています。しかしながら,人工知能(AI)がどれだけ進化し思考できるようになったとしても,個人と社会の成長につながる新たな価値について考え判断したり,その価値を創造したりすることができることは,人間の強みです。(文部科学省,2018a)

 このようにこれからの社会や人間の強みを捉えた際に,算数・数学の授業づくりはどのように行われることが望ましいのでしょうか。中島(1977)が,

数学というと,だれもが「考える」ことを重視する学問だと受け取るように,数学教育を考える場合にも,その教材の指導を通して,思考力の育成を図ることが古来重要な目標となってきている。(p.59)

中島健三(1977).算数・数学教育における「考える」というはたらき.和田義信編,考えることの教育(pp.59-78).第一法規出版.

と述べたように,児童が算数・数学を学ぶことの意義の一つは,「考えること」を学ぶことです。考えることについて,杉山(2012)は,以下のように述べており,考えるためには,児童自らの「問い」が必要であるといえます。

篠原助市は,教師の発問を考察して「問について言えば生徒の思考進行の現状に即しながら,しかも一歩前進せる問により其の発展を促さねばならぬ。〔略〕身を生徒の地位に置き,生徒の問うべき――べきであるから,従って,生徒自身には直ちに問ひ得ない――を自らの問とするにある」と言い,「教師の問に倣ふことによって始めて,生徒は正しく問ひ得るに至る。」と述べている。後にも再びふれることがあろうが,私は,「考える」とは「自ら問い,自ら答える」過程であると考える。(p.66,太字筆者)

杉山吉茂(2012).確かな算数・数学教育をもとめて.東洋館出版社.

(2)数学的活動

 学習指導要領改訂に伴い,算数的活動から数学的活動へと名称変更がなされ,算数科の目標については,「数学的な見方・考え方を働かせ,数学的活動を通して,数学的に考える資質・能力の育成を目指す。」(文部科学省,2018b)と示されました。これは,

小学校算数科においては,数学的に考える資質・能力の育成を目指す観点から,実社会との関わりと算数・数学を統合的・発展的に構成していくことを意識して,数学的活動の充実等を図った.(文部科学省,2018b,p.6)

文部科学省(2018b).小学校学習指導要領解説(平成29年告示) 算数編.日本文教出版.

という算数科改訂の趣旨及び要点から設定された目標です。
 さらに,算数・数学の学習指導の過程において,数学的に問題発見・解決する過程を重視するものとされました(文部科学省,2018b)。日常生活や数学の事象から児童自身が問題を発見することだけでなく,問題解決の過程や結果を振り返って新たな「問い」を見いだすことの重要性を強調しています。改めて,児童自らの「問い」をもとに授業づくりを行うことがより一層求められているでしょう。つまり,「考えること」をより一層重視した授業づくりを行うことが肝要です。

 一方,杉山(2008)は,数学的活動について,

「数学的活動」は,学問としての数学の活動,つまり,数学を創造し,発展させる活動,数学を用いる活動等をさす言葉として使われてきた。「数学的活動を通して」といえば,数学を創造,発展させる活動を通して算数を学習しようということになる。(p.315,太字筆者)

杉山吉茂(2008).初等科算数科教育学序説.東洋館出版社.

と述べています。数学的活動とは「算数を創る」活動であると捉えることができます。

(3)算数を創る

 そもそも「算数を創る」ということは,どういうことでしょうか。このような議論は,昔からなされてきています。例えば,和田(1997a)は,数学を創ることについて,以下のように述べています。

創造というのは,何か新しいものがただつくられればよいという意味でなく,今までにつくられたものや今あるものを適当に整理していくとか,あるいは近頃組合せということがいわれていますが,そういうものを整理し組織していくことなのです。その組織していくとき,そこに一つの新しいideaなり考え方なりがなければ組織できないわけです。そういうideaを創造することによって今までよりもより進んだ数学的な事実がそこから生まれてくるわけです。何か無関係に新しいものが一つポーンと定理として出てきたとしても,それは何ら創造といったものにならないし,値打ちのないものです。結果が出されるということは,ある意味において価値の生産がなされなければならないわけですが,その価値の中にどんなものがあるかといいますと,先般すでにお話しましたが,私どもの精神的な,あるいは肉体的な労力の軽減をはかるといったような意味の価値の生産がそこに行われなければならないということです。(p.114,太字筆者)

和田義信(1997a).和田義信著作・講演集3講演集(1)数学と数学教育<軽装版>.東洋館出版社.

 端的にいえば,「算数を創る」とは,「数学的な物事を関連付け整理し,組織すること」であり,「ideaを見いだすこと」であるといえるでしょう。そして,和田(1997b)では,算数・数学の創造について,以下のように述べています。

創造というのは新しい定理だとか,新しい事実だとかそういうものに目を付けるというのではなくて,創造性の伸長というのは,前にあったものを新しい観点から見直すことによって,それが簡潔明瞭に我々の脳裏にきれいな組織となって残っていく,そういう新しい観点,新しい展望の基に今までのやられていたことを見直していく,そして組織立てていく.別に新しいことを求めるのではなく,今までのものに生命を与えていく。そこに驚きが生まれていき,その驚きが子どもにとって感激にもなっていく,喜びとなっていくわけです。(p.239,太字筆者)

和田義信(1997b).和田義信著作・講演集5講演集(3)数学教育の現代化<軽装版>.東洋館出版社.

 「算数を創る」ことによる驚きが,児童の学びの感激や喜びになると捉えることができます。これが,「算数を創る」ことの重要性であるともいえます。

 また,古藤(1991)は,「数学を創る」ことを「Do Math」と表現し,Do Mathの指導について,以下のように述べています。

数学の概念や法則,または,問題解決の学習,さらには,数学の体系づくりの活動に際して,ある程度は教師の援助をうけながらも,子供たちが主体的に自分の力で理解したり,つくりあげることを期待しているのである(p.11)

古藤怜(1991).DO MATHの指導.古藤怜編,算数・数学科におけるDo Mathの指導(pp.3-23).東洋館出版社.

 関連して,熊谷(1991)は,Do Math学習の特徴の1つとして,「自ら積極的に学習を進めること」を挙げ,以下のように述べています。

子供が自ら学習を進めることは,子供自身が有している知識や経験をもとに,新しい場面で新しい経験を積み,新しい知識をつくりだしていくことを意味している。(p.55)

熊谷光一(1991).DO MATHの指導を実現するために.古藤怜編,算数・数学科におけるDo Mathの指導(pp.55-70) .東洋館出版社.

 「Do Math」,つまり,「数学を創る」とは,児童が有している知識や経験をもとに新しい知識を自らの力で創り出すことであると捉えることができます。尚,Do Mathの考えにおいて強調していることは,数学の学習の結果よりその過程(古藤,1991)であり,和田(1997b)の見解と同様です。これは,先述した「数学的に問題発見・解決する過程を重視する」という文部科学省(2018b)の規定とも同様です。 

 このように,児童が「算数を創る」ことの重要性は以前より指摘されています。しかしながら,学習指導要領改訂に伴い「主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善」が求められていること(文部科学省,2018a)に鑑み,多くの授業では児童主体ではなく教師主導の授業が行われていることに課題があるといえるでしょう。

(3)結果としての算数と過程としての算数

 「算数を創る」といった場合,「結果として算数」と「過程としての算数」の2つの側面が考えられます。國本(2005)は,数学の捉え方として,「結果としての数学」と「(創造)過程としての数学」の2つがあるとし,これら2つの特徴を以下の図のようにまとめています。

結果としての数学と過程としての数学(國本,2005,p.26)を参考に筆者作成

 ここまでに検討したこと,また,國本氏が示した「過程としての数学」の内容に鑑みれば,「算数を創る」といった際には「結果としての算数」よりも「過程としての算数」に重きが置かれます。しかしながら,児童(たち)自身が結果として創った算数も,創る過程としての算数と同様に重きが置かれるべきではないでしょうか。なぜならば,本当に主体的な学びをした際には,自ら結果として創った算数に対しても大きな感激をもつと考えられるからです・もちろんこれは,過程があってこその結果としての算数と捉えてのことです。

(4)終わりに

 私が「算数を創る」をテーマにしたいと考えた理由が伝わったでしょうか。最後までお読みいただき、ありがとうございました。御意見等お待ちしております。

【引用・参考文献】
古藤怜(1991).DO MATHの指導.古藤怜編,算数・数学科におけるDo Mathの指導(pp.3-23).東洋館出版社.
熊谷光一(1991).DO MATHの指導を実現するために.古藤怜編,算数・数学科におけるDo Mathの指導(pp.55-70) .東洋館出版社.
國本景亀(2005).行動主義から生命論に立つ算数・数学教育へ.日本数学教育学会誌,87(12),25-26.
文部科学省(2018a).小学校学習指導要領(平成29年告示).東洋館出版社.
文部科学省(2018b).小学校学習指導要領解説(平成29年告示) 算数編.日本文教出版.
中島健三(1977).算数・数学教育における「考える」というはたらき.和田義信編,考えることの教育(pp.59-78).第一法規出版.
篠原助市(1933).「問」の本質と教育的意義.日本教育学会教育学研究,2(7),757-784.
杉山吉茂(2008).初等科算数科教育学序説.東洋館出版社.
杉山吉茂(2012).確かな算数・数学教育をもとめて.東洋館出版社.
和田義信(1997a).和田義信著作・講演集3講演集(1)数学と数学教育<軽装版>.東洋館出版社.
和田義信(1997b).和田義信著作・講演集5講演集(3)数学教育の現代化<軽装版>.東洋館出版社.

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