あまじょっぱ医

北国の何処かで医師をやっています。 日々の由無し事をそこはかとなく書いていく、エッセイ…

あまじょっぱ医

北国の何処かで医師をやっています。 日々の由無し事をそこはかとなく書いていく、エッセイに耐え得る書を目指します。 毎週更新予定(本数も時間も不定期)。

最近の記事

シャーロック・ホームズの孤独と病理診断科を語らう書

約2か月に及ぶ病理診断科ローテを終えた。 Twitterでも記したとおりだが、この期間で手術検体と生検を合わせて30強程度の診断を行った。 全くもって遅い&少ないことこの上ない。 1人前の病理診断科になるならば年間2000例は最低限必要だ。自分は年間180例ペース。論外。 最低でも2か月で160例はいけたらよかったのに・・・。 と後ろ向きな話から始めてしまったが、しかしそもそもまともに「病理診断」というものを真正面から行ったのはこれが初めてだった。 いかんせん顕微鏡を眺めて

    • 1年目の終わりを語らう書

      3か月ぶりの更新である。 12月以降は外科ローテで忙しく、何か書こう書こうと思いつつもサボってしまった。 軽く振り返ろう。 外科ローテは忙しかった。 朝は回診と処方、そして手術に入って終わったらカンファの資料作成や翌日の手術の予習。 主治医制なので研修医が病棟業務をやることは回診と処方出しくらいしかないがそれでも週末回診もあるしで大変だった。 若手の先生方が皆さんとても親切で優しくて面白くて頼りになるのでそれは凄く嬉しかった。 その後の血管外科ローテ、外科以上に色々と経験

      • 冬の到来を語らう書

        9月末以来の更新になってしまった。 すなわちこのnoteを秋はほぼ丸々書かなかったことになる。 が、それは怠惰によるものでは無い・・・と思う、多分。 以下言い訳。 というのもこの2か月は循環器内科ローテーションであり、それはそれは忙しかったのである。 忙しいと兎に角目の前の日々を過ごすのに精いっぱいで、立ち止まって振り返ったり、周りに目を見やったりすることがかなり無くなってしまう。 結果としてこのnoteに書こうと思うような思案も沸くことが無く、この更新頻度の有様になってし

        • 「働く」と「生きる」を語らう書

          なんと更新が1か月ぶりになってしまった。 正直言うと存在を忘れていた。よろしくない。 自分が己の思考をアウトプットする練習のための場であり、また未来の自分が振り返って読んだ時に懐かしく思えるための場である。三日坊主は良くない。 ・・・などという説教臭い話は至極無駄だ。 初期研修医として半年が過ぎようとしている。日々自分の無能さを痛感する日々である。いつ人生という舞台を降りてやろうか、という考えが日に日に増しながら毎日をやり過ごしている。 大げさに言えば希死念慮というものなの

        シャーロック・ホームズの孤独と病理診断科を語らう書

          世界の不在証明とその進行を語らう書

          昔からの疑問だ。 先日、大学の同期が先輩と共に私の住む街に遊びに来ており、久方ぶりに飲んだ。 その後同期は我が家に泊まり、月曜日の朝に私が出勤すると同時に出て空港へと向かい、彼もまた午後から仕事だと言っていた。 私は職場に行き、手術室で麻酔を行う。 その間にも彼は空港へ向かい、飛行機に乗り、そして彼の住む街に帰り仕事へ向かう。 お互い社会人になってしまったのだなというもの悲しさはあるが、それを語りたいのでは無い。 果たして彼は私と別れて空港に向かい飛行機に乗り、その後職場

          世界の不在証明とその進行を語らう書

          3年目以降を語らう書

          初期研修医として働き始めて4か月が経過した。 2年間の初期臨床研修は長いようにも思えるが、24か月のうち4か月がすでに過ぎ去った事実に驚いている。 2年間の初期臨床研修はしかしある種受け身な2年間でもある。ある程度は決められたカリキュラムに則り、その中でいかに主体的に日々を過ごすかである。 だが3年目以降はそうはいかない。 ここまでの人生は小学校、中学校、高校、大学そして今の初期研修とある程度敷かれたレール、定められた枠組みの中で動いてきた(徐々にその枠組みの自由度は増してい

          3年目以降を語らう書

          夢を語らう書

          今でも小学生の頃に見た夢を一つだけ覚えている。 恐らく小学校2年生か3年生の頃だ。 どこまでも茶色い殺風景な空と山、当時仲の良かった男子2人と共に滑り台さながらにその山の噴火口のようなところへ渦を巻くかのように降りて行った。なんだかその早さが心地良かったような覚えがある。 気づけば底にいて、そこで3人でカルピスを飲んでいた。 ただそれだけの夢、だけど今でもその夢だけは強く脳裏に刻まれている。 当時仲の良かった彼らが今どこで何をしているのかは全く知らない。小学校卒業と共に疎遠に

          10年前を語らう書

          気づけば10年前に明確な思い出がある年齢にとっくになっていた。 中学生の頃、高校生の頃、10年前とは幼稚園や小学生の頃であり、思い出はどこかあやふやでまだつい最近のような気もして、振り返ってもそこまで思い入れは無かった。 ああ、楽しかったな、ああ、なんかそんな嫌なことあったな、そんな程度。 ベッドに寝転ぶ日曜日の夜、突如脳内に流れ出した曲があった。何となくMVを観たくなって調べてみる。YouTubeを開いてみると「サムライハート Some Like Hot!!」の新バージョ

          10年前を語らう書

          病理夏の学校を語らう書

          分からなくなった。 まごうことなき結論である。 6月24日から25日にかけて開催されていた病理夏の学校に参加させていただいた。 貴重な話を数多く聞くことが出来た。 シャイな人間なのでそこまで多くの人とお話をすることは無かったが、それでもとてつもなく雲の上の先生とお話しする機会も得た。 楽しかった。 これもまごうことなき事実である。 が、それよりも今胸中渦巻くモヤモヤしたものは刻一刻と大きくなっている。 病理に興味があるのは昔からであり、それは変わらぬ事実である。 しか

          病理夏の学校を語らう書

          草枕を語らう書

           夏目漱石氏が著した『草枕』を中学生の頃から大変好んでおり、今でもしばしば読んでいます。  この名文から始まる本書、読んだことはなくともこの冒頭は聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。  青年画家がとある山奥の温泉に逗留の為に訪れ、そこで様々な人と触れ合いながら「非人情」という彼の哲学と、彼の追う「画」というものを成熟させていくお話です。  推理小説やSF小説、恋愛小説あるいはライトノベルのような激しいすったもんだや起承転結はなく、ただ穏やかに緩やかに話は進んでいき

          草枕を語らう書

          はじまりに耐え得る書

          初めまして、あまじょっぱ医です。 プロフィールにもあります通り医師をやっています。 何となく昔から物書きになりたいという夢があり、この度誠に勝手ながら(誰にも頼まれておりません、需要もありません)エッセイを毎週1本は定期的に書いていこうかなと思っています。 その時によって話題も分量もまちまちでしょうが、細々と書いていくつもりです。 どうぞよしなに。

          はじまりに耐え得る書