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「たかが交通事故?こっちは殺人だぞ!」と言う人の心理

ドラマ「踊る大捜査線」や、「HERO」などで、官僚の人たちが、現場の刑事や検事に向かってよく吐いてますね。

「たかが交通事故?こっちは殺人だぞ!」

この言葉。

織田裕二やキムタクが、
「事件に大きいも小さいもありません!」
とかっこ良くお偉いさんに啖呵を着るシーンが印象的です。

小なり小なり、同じような事象は我が職場でも毎日の様に発生しています。

一件一件のお客様対応よりも、大きい取引先とのあまり意味のない(ように見える)挨拶回りを優先する上司達。

結局そのしわ寄せは若手社員に集中していきます。

なぜ、彼らには、「たかが交通事故、こっちは殺人事件」という心理が働くのでしょうか。

そして、柳葉さんや角野卓造さんのような、部下を守ろうとする上司とは何か違うのでしょうか。

その理由は二つあると思っています。

一つ目はプライドが高いこと。

その高いプライドを創り上げてしまったのは、会社の組織、社会構造が原因だと思います。

日本はこれまで年功序列が当たり前の文化として発展を遂げてきました。

つまり、今、偉そうにされている方々は、総じてその階段を少しずつ上がってそこまで到達している方がほとんどで、

彼らは若い頃に、散々交通事故案件をやらされてきている。

せっかく耐え抜いてここまで上り詰めたというプライドが、今更交通事故を裁く気にはさせないということです。

年功序列制度の完全なる負の遺産だと思います。

そしてふたつ目、私はこちらが真理だと思うのですが、(意見には個人差があります)

それは、孤独であることです。

人は、人を見ています。

表面上は繕って対応している人も、プライドだけが高く、部下を犠牲にするような上司に、本当の意味で心を許すはずもありません。

逆に、人望に厚い人の周りには、いつも沢山の仲間がいます。信じてくれる人がいます。それは、一朝一夕では得られるものではありません。

表面上の付き合いしか無い孤独な人ほど、地位や、プライドにすがっているように私には写ります。

こういう人を目のあたりにすると、本当に可哀想だなあと思いますし、

こんなぺーぺーの部下に可哀想だなあと思われている事自体ももはや可哀想すぎて泣けてくるくらいです。

それもこれも身から出た錆、ザマミロ!

でも、時々飲み会の席でその上司が微妙にハブられている感じの時に、余計な気を利かせてお酌に行ったりなんかすると、なかなか離してくれなくって、本当に寂しいんだなあこの人と思わされる反面、もうお酌は当分止そうと思う私なのでした。

ムダlica

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