東京無景 第一話(BL)

「えー、サツキまた金尽きたのかよ」
「違う、ダイエットしてるの!」

ダイエットと言う名の給料日前。
要するにお金がなくて食べられないだけ。

「チビ、ガリ」
「次言ったら殴るよ」

いま出来る一番怖い顔をしたつもり。
だけど彼には通じない。

「はは、痛くなさそー」

そう言って同級生のミツルは笑ってすませた。

東京の端の小さな街の美術学校に通っている。学校終わり、今日も右手は真っ黒だった。

叶うはずのない夢を見て、夜が来れば絶望する。だけどいまはこうしてしか生きられないんだよ。好きなものにすがりつくしか。それは僕が大学を中退した理由でもある。

東京の端の小さな街のさらに小さなアパートで、ひとり暮らしの20歳。
去年一回失敗してるから、親からはもう何も期待出来ない。
今時風呂もない四畳半。いつ出て行かざるを得ない状況になるか、密かにドキドキしていた。

過去の貯金とコンビニ夜勤と単発バイトで生活している。徹夜なんかテスト前でもしたことのない生活をしていたのに、ひとは変わるものだよね。

そんな生活してるから、暇な時間は課題と睡眠にあてたいのに、ミツルは今日も遊びに来た。

「ミツル、僕は寝るよ。暇なら3時間たったら起こして」

「おーまかしとけ」

テレビさえもないこの部屋に来てなにが楽しいんだか。
ミツルは親元でのんびり生活している。課題もそこそこに遊びに忙しそうだ。

いいよな、失敗を知らないのは幸せなこと。根拠のない自信は武器だと思う。

その日、僕は久々に夢を見た。

部屋から出られない。
バイトだって学校だって、行かなきゃならない時間は迫ってるのに鍵が開かない。

これでまた失敗したら僕は……!
もうこれ以上取り返しのつかないことになるのは嫌だ。

誰か、この鍵を開けてよ。

誰か、
誰か!

「……キ、サツキ!」

「ひっ」

目の前にミツルの顔があった。
驚いたなんてものじゃない。

「おい、大丈夫かよ。汗すごいし」
「だ、だいじょーぶ……それより鍵が開かなくて……」
「鍵?おまえんちの鍵壊れてんじゃん」

そうだ、壊れてるんだ。
あんなに開かなかったのに……。

「何、混乱してんの?落ち着けよ」
「う、うん……」

なんか疲れる夢だった……追いつめられてんなぁ、僕。

「あつい……」

「窓開ける?」

ガタガタと音を立ててミツルは壊れかけの窓を開けた。夕方の風だ。日が暮れるのも早くなったなぁ。

「サツキ、こっちむいてみろ」
「えー、なに?」
ミツルは腕を伸ばし、僕の顔をわしづかみ。
「痛い!なんだよ」
「なんか顔色悪い」
「……そりゃーここ一週間まともに食べてないしね」

お腹の空く感覚はもう鈍くなってる。
唯一の米ももうすぐなくなろうとしていた。

「なんか食えよ、おまえ死ぬぞ」
「その食うお金がないの!」

無駄に使うお金なんて。

「もー手ぇ離してよ!ミツル」
だけど僕の手を握ったミツルは手を離さない。

「もー、離してってば!」

ミツルの手を振り払い、立ち上がった。
……瞬間、ぐらりと世界は揺れてしばらくの間の記憶がなかった。

ーーー

あんなに夏の風は熱かったのに、今度は逆に寒くて目が覚めた。震えながら起き上がるとミツルが台所で何かやってる。

「あ、起きた?サツキ」
「なにしてんの……」
「おかゆだよ」

そう言ってミツルは鍋のままおかゆを持って来て鍋敷きを敷いたちゃぶ台に。
「味付けは塩だけだけどさ。ほら、食えよ」

久々に温かい食べ物を見た。
だけど……。

「寒くてなんか気持ち悪い」
「あー?まじかよ」

僕よりひとまわり以上大きな手で僕の額に触れる。

「熱あるよなー」
「熱……?」
「まだ自覚ないのかよ」

ミツルは僕のためにゆがんだ押入れを開けて、冬の毛布を出してきた。
「これで寒いのは我慢しろ」
「うう……」
今日はバイトないから課題をやらなきゃならないのに……。

「ミツル、帰らなくていいの?」
時刻はいつの間にか午後10時を示していた。

「あー、別に。課題ならここでも出来るし」
「食べ物ないよ……」
「お前にはたからないから大丈夫」

そう言ってミツルは立ち上がった。
「ちょっと俺買い物行ってくるわ。寝てろよ」

そして鍵の壊れたドアを開け、足音を立てて出て行った。

古すぎて空き部屋の多いアパート。
おかげで無音状態が訪れる。
だけど耳の中でセミが鳴いてるような気がして。
耳鳴りかもしれない。
夏の気配が残るこんな季節になんでこんなに寒いんだ。なんだか僕は寂しくなってしまった。

ーーー

『絵なんか描いて、そんな夢を追って何になるんだ!』

実家の父が怒鳴ってる。

『エスカレーターで大学に入れるから、あの私立に通わせてやったのに』

母は僕と目を合わせなかった。

わかってるよ、全部悪いのは足を踏み外した僕の方。この手が鉛筆を離さないんだ。

スケッチブックが涙で歪む。
ごめんなさい、夢を諦めきれなくて。
ごめんなさい、
ごめんなさい……。

「……サツキ!」

またミツルに起こされた。

「なにお前泣いてんだよ……」
「え……?」

ミツルの大きな手が、僕の頬の涙を拭った。冷たくて気持ちの良い手。

「全く、熱出すわ泣くわどうしようもないな」

そしてミツルは軽く僕の頭を叩く。

「こうなる前に誰かに頼れっての」

「東京に頼れるひといないもん……」

再びミツルが頭を叩く。

「俺がいるだろ。なー、たまには甘えてみろよ?」

「甘えるのは好きじゃない」

また、失敗してしまうかもしれないから。

「……馬鹿だな、お前。すげー馬鹿」

「……ば、ばかばかうるさい!年下のくせに!」
「ああー?!」

ミツルに顔をつねられる。

「だってお前ダブってんじゃん。俺よりばかってことだろ?」

「違う!ダブってない、自主退学。僕は人生の選択間違えただけだよ」

大きな声を出して息が切れる。

ぼくの顔をじっとみつめて、ミツルはため息ついた。

「おかゆ、冷めたけど食えよ。薬買ってきてあるからそれ飲んで寝てろ」

冷たいおかゆを味わいながら、僕はふと振り返る。

『東京』

思えばいつも不安だった。
夢だけ持って上京してのひとり暮らし。
バイトと課題におわれることで、将来の不安を見ないようにしていた。

僕の絵が社会で通じるかなんてわからない。だけど僕にはもう絵しかなかったから。

テレビのない部屋で暇さえあればクロッキーを繰り返した。そして鉛筆で真っ黒な手を枕に布団も敷かず眠り込む日々。

いつからだろう、そこにミツルがやって来たのは。

「こわばった顔して眉ひそめてさ、かわいーしてんのにもったいないよ?」

そう言って僕のそばで何をするでもなく、だけど、離れない。

「もっと視野広げろよ。人生楽しまないと損だろ?いい絵も描けないぜー」

なんでこんなに楽天的なんだ。
僕にはそんな余裕なんてないのに。

……だけど、そんなミツルの描く絵は嫌いじゃなかった。僕とは対極のところにいる彼は、僕の持っていないものを持ってる。
その魅力が眩しくて……。

僕の生き方、間違ってるのだろうか。

ーーー

「サツキ、タオルで冷やしとけ」

そう言って彼は熱の下がらない僕の額に濡らしたハンドタオルを乗せる。

「ミツル……もう終電行っちゃうよ」
「別にいいよ。それとも邪魔か?」

「……邪魔じゃない」

誰かにそばにいて欲しかった。

……こんな夜は。

「は、また泣いてるー」

そう言ってミツルは笑うから、僕はますます堪え切れなくて涙がとまらない。

「まぁ人生長いんだからさ、少し肩の力抜いてこーぜ、先輩」

ミツルの手が僕の手に触れ、握る。
この感触が愛おしい。

ああ、見知らぬ東京で僕はいまひとりじゃないのかもしれない。

孤独感をぬぐうように、ミツルが頭を撫でてくる。もう、そんなことするから……。

「少し寝な、起こしてやるからさ。サツキ」
「……3時間経ったら起こしてよ。課題やるから」
「おう、お前結局真面目なんだよなー」

ミツルの笑い声を聞きながら、涙や思い出までが流れていくのを感じる。

さらさら、さらさらと。
僕の心に溜まった何かを流すように……。

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