夜といつまでも 最終話

「まひる、僕はね強く生きたいと思う」
そう言ってヨルはネクタイを緩める。電車は終点へ。たどり着いたのは見知らぬ海辺の街だった。
「この写真と同じだ」
ヨルは胸元から一枚の古びたポストカードを出した。
「父さんも母さんも僕の過去を語らない。ただ昔一回だけ小さな頃この街に住んでいたんだよ、って教えてくれたんだ」
それでもそこはヨルと僕にとっては知らない景色で、これからどこに行こうかと半ば途方に暮れていた。
その時だ、白バイの警察官とすれ違う。ブレーキをかけた白バイ。
「君、学校はどうした?」
制服の僕を見ている。平日の昼間だもん、当たり前だ。
「ほ、ほごしゃです!!」
顔を真っ赤にしたヨルはその場で叫びながら、僕の手を取り走り出した。何かを叫んでいる警察官、ヨルと僕は振り返らないままふたりひと気のない住宅街へと迷い込んだ。

「ヨ、ヨルー、ここどこかわかる?」
「わ、わかんない……」
キョロキョロと周りを見渡しても見覚えなんかあるはずがない。どんどん廃れて行く風景。怖い、どうしよう……。
それから1時間くらいたち、やがて空模様が怪しくなり雨の匂いがして来た時だ。困り果て僕はその場に座り込んだ。古い大きな家のそばだった。
「まひる」
ヨルの声に顔を上げる。目の前の家を見つめて動かないヨル。誰も住まなくなってから何年もたっているのだろう、門は錆びて斜めに傾いでいた。
「……あ」
「ヨル?」
「ああ……!!」
「ヨル?!」
家の前で呆然とするヨル、引きつった顔をして呼吸とともに悲鳴がもれる。

『ここは……魔女の、家だ』

あの日、窓の外からは雷が落ちる音が響いていた。窓が割れそうなくらい降り続く雨。
「殺してやる!殺してやる!」
鋭利なナイフを手にして魔女は辺り構わず振り回す。キンキンに響くその狂気はどこから湧いてきたのか。恐怖のままひたすら逃げ惑った挙句追い詰められたのは下り階段。ああ、息ができない。生か死か。もう戻れない、境界線は残り数センチ。

「……いよいよと迫られた時、ぼくは奇声をあげて襲ってきた魔女を、力いっぱい階段から突き落とした」

そう告げるとともにその場に崩れ落ちたヨル。過ぎ去った記憶が溢れ出す。あの日、殺されたのはヨルじゃない。死んだのは魔女のほうだったのだ。

「あとはもう……何も覚えていない」

ヨルの記憶の終わり、魔女が死んだ時少年ヨルもそこで『死んだ』。

そして彼は再び何も知らずに心だけは赤ん坊になって生まれ変わった。記憶を持たないヨルは何もわからない。空白の10年……避けられなかった罪と罰の代償は決して小さくはない。
「泣いてるの、ヨル……?」
「泣いてないよ、まひる」
嘘つき、大きな瞳から大粒の涙を流しているくせに。
「まひる」
ヨルと手をつなぎ、空を見る。雨が少しずつ降ってきた。僕はその雨に乗せて、ヨルの全ての記憶が流れて行くのを感じた。

日が暮れる頃、僕たちは帰りの電車に乗った。そこに会話はない。だけど、夕日に染まりながらぎゅっと握ったヨルの手は離さない。彼は通り過ぎて行く景色を目を逸らすことなく、じっと見つめていた。

多分その瞬間に、ヨルは再生を始めたのだと思う。取り戻した記憶、運命を受け入れるようにヨルは一言呟く。
時は流れて行くね、と。

それから5年、僕は今日高校を卒業する。声変わりもしたし、小さかった身長も伸びた。ヨルと訪れた海辺の街にはあれ以来行っていない。
卒業式のお祝いの花びらを肩につけたまま駅前の午後6時、そろそろだと思うんだけど……。その時人混みの中に約束をした彼を見つけた。
「ヨル!」
右手に四角いケーキの箱を持ったヨルが走ってくる。そんなに慌てたら転ぶよ、ヨル。
ニコニコ笑顔は変わってはいない。れから失われた年月を取り戻すようにヨルは本当の大人になった。保健室登校はそのままだったけれど、中学卒業のころにはみんなと教室でお昼ご飯を食べるようになって、バレンタインには女の子からチョコをもらっていた。卒業後は僕が高校へ、ヨルは絵を描きながら、少しずつバイトしたりして彼のペースで、地に足をつけた生活を始めた。
それから数年、大好きな絵を認められたヨルは一部で密かにファンが増え、有名人になりかけている。今では実家近くのマンションで一人暮らしをしていて、週に1、2回は僕を招いて手料理をこしらえてくれる。あのヨルがだよ。信じられないよね?
「まひる、卒業おめでとう!」
ケーキの箱を振り回しながらさらに笑う。ヨル、そんなにしたらケーキ崩れちゃうよ。

変わらないものもある。
時は流れたけれど僕とヨルは変わらない。

ヨルと、いつまでも。

彼は今も、これからもずっと僕の1番の友達だ。

(おわり 2014-09-22)

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