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白い獣(ホラー短編)



雨の夜道を車で走るのはどこか薄気味悪く、自分の居場所を正確に把握できなくなる。こことは違う別世界に向かう道のりのようだった。
俺は眠かったけどどうしても眠れずに、助手席でほとんどうずくまるようにして前を見ていた。
そのうち、運転をしている友人がちらちらサイドミラーを見るのに気がついた。
気にしないようにして目をつぶろうとしたが、かえって目は冴えてくる。
俺は体を起こしてちらっと助手席側のサイドミラーを覗いてみたが、後続車は一台もいない。
神経過敏で細心なやつだから確認するのが癖なのかなと思ったが、ほとんど車がない状態の夜道を独走状態で走っていて、サイドミラーを確認するなんてことそう頻繁にしないものだ。それでも奴は何度も何度もちらちらサイドミラーを覗き続けるからついに俺は気になって聞いてみた。

「さっきからどうした」

友人は答えない。

「サイドミラー。なんか写ってる?」

奇妙な沈黙があって、友人は「いや」と短く答えた。
その言い方がなんとなく焦っているようで、俺はまた一層奇妙に感じた。体をひねって目視で確認する。さっきまで首を上げるのも面倒だったのに。
それは秋初めのぬるくも冷たい雨で、田舎の一本道にほとんど車の影はない。前の方に一台だけ赤い目のような丸いランプが見えているだけだが、それもすぐに視界から消えていった。
俺たちは闇の中に二人きりで座っていた。
ガラスに当たる断続的な雨音とキュッキュッと響くワイパーの音、まるで顔に直接当たっているかのようにドア一つ外で唸る風、コンクリートの上をタイヤが跳ねる水しぶきの音、ただ中にぽっかり浮かんだ空間に取り残されていた。
合間合間に、うすぼんやりと定かではない電灯が過ぎていく。
そのうち友人の手がハンドルをぎゅっと握りしめているのに気がついた。
指の腹はすっかり白くなって額からは脂汗が流れている。
おいどうした大丈夫か、運転変わるぞ。
声を出したはずなのに、自分の声が自分で聞き取れない。おかしい。何かがおかしい。
友人は蚊の鳴くような声で何かを言った。け…ぃと聞こえたが口の中で言っただけだったので、はっきりと聞き取れない。

「…かけてくる」

次ははっきりと聞こえた。

「追いかけてくる」
「何が」

自転車がこんなスピードについて来られるはずがない。
獣か?イノシシでもいるのか。熊か。

「うさぎ」
「うさぎ?」

俺はおうむ返しに返すしかなかった。そのあどけないとぼけた単語がこの場この時この空間にぼうんとこだまするようにうつろに響いた。
何度も後部座席に体をのりだすようにして右に左に振り返ってみたが、それらしいなにかは何も見えない。
急に車がスピードを上げて、体が急激にシート後に押し付けられた。白くなった手が抑えたハンドルが揺れて、車はガクガクと小刻みにぶれる。

「おい止まれ」

俺は危険を感じてハンドルを横から押さえる。
もう友人の唇からは泡が吹き出していた。

「シート倒せシート」

俺は叫びほとんどまたがるようにして友人の上に状態を持たせかけハンドルを操作した。
何とかしてブレーキを踏もうとするが友人のガクガクする足が何度もアクセルを探すように踏む。そのうちどこか山の中に突っ込むだけならいいが崖下に転落してしまうのではないかとヒヤヒヤしっぱなしだった。探り当てたリクライニングレバーを思いっきり引いて、シートがガクンと倒れ友人は後ろにのけぞった。

「だめだ駄目駄目駄目追いつかれる追いつかれる」

泡を吹いた口から何度もその言葉が漏れ、俺は本当に友人の上に跨った。おれはラグビーもやっている割と巨体なので友人はヒョロい体格だとはいえ、運転席は人の体でいっぱいになった。天井に頭をぶつけながらハンドルを操作しながら、体ごと友人を横に押しのける。シフトレバーが邪魔をした。
足まで使ってやっと助手席に追いやりブレーキのに足が届いた時、どうしてもサイドミラーが気になってそちらを見てしまった。見てはいけなかったのに。
サイドミラーの中には風のように疾走しながらこの車を追いかけてくる何かが映っていた。
それは白くて耳が長く全身が毛に覆われていて、確かに友人の入った兎を連想させた。だが形はもっと大きく体も細く鹿ぐらいの大きさだ。
ちがうあれは肉食の獣だ。
どうしてそう思ったのか分からないが、チーターかハイエナが獲物を狩るようにこちらへ疾走している。その真っ赤な目がぎょろっとこちらを凝視するのを危ういところで目を逸らした。
狂ったようにバックミラーを睨みつけたがそこには何も映っていない。
見てはだめだ。そう口の中で何度も呟きながらブレーキとアクセルを操作してやっとのことでハンドルを取り戻した。そこから先は衝動との争いだった。ぎゅっとハンドルを握る手の指が白くなっている。脂汗が流れた。
見ない見ない絶対に見ない見てはだめだだめだ見ない。
目の前の真っ暗な道だけを凝視していた。横に左に右に突き出た茂みが激しく車に当たる音がする。その度に視界が左右に触れようとするが危うく耐えた。
そのうち車の真横に何かの気配を感じた。
追いつかれている。
衝動的にアクセルを踏もうとしてハッとしてやめた。目の前にぼんやりと浮かぶうねる道の曲線、カーブだった。
大丈夫だ。落ち着いてハンドルを回せばいい。大丈夫。
ヒヤリとして冷たい何かが左手に触れる。
無理やり助手席に押しやった友人の手だった。死人の手のようだ。顔を曲げて彼の顔を凝視すると充血した目が赤くこちらをギョロリと睨みつけ唇が動いた。

「無駄だよ」

俺は思いっきりその手をはねのけた。生来の反抗心がむくむくと鎌首をもたげる。
無駄なもんか。
そう心の中で呟く。
なぜか音にして答えてはいけない気がした。
友人の手が俺の手首を掴みそれから甲に這い、そろそろとハンドルの方へ向かおうとしている。万力のような力で締め付けると言うが、俺は万力というものを使ったことがあるわけでもないしそれがどんな力学で動いてるのかも知らない。だがきっとこんな力なのだろうと思わせる。吸い付いたように離れなかった。
危ない。友人に気を取られて危うくまたカーブを切り損ねるところだった。

「悪い」

声に出して叫ぶ。思いっきり右手を上げて友人の顎に向かってストレートをぶちかました。
もちろん無理な体勢からだ。そううまくはいかなかったが、手が離れた。
ハンドルを再び取り戻した目の前に、馬のような口が大きく開いて真っ赤な上あごの内部と長く伸びた舌、鮫のような歯が並ぶ奥にぶらぶらとのどびこが揺れている。
喰われる!
思わず目をつぶりブレーキを思い切り踏んだ。
右か、左か。
激しいクラッシュ音がして、何かが飛び出してきて体をつぶした。それがエアバッグだと気づいたのはあとになってからだ。
脳震盪を起こしていたらしい。くしゃくしゃになったエアバッグがからむハンドルに突っ伏していた。

「おい、起きろ、おい!」

隣のエアバッグは開いていない。
手は氷のように冷たい。ぞっとして背中から上に毛が逆立つ。いけないと知りつつ名前を叫びながら肩を揺さぶり頬を平手打ちした。
ひゅうと喉元から音がして、咳き込んだ友人が弱々しく目を開いた。
こちらを見上げた目は充血していたが妙な光は去っていた。
鼻から血がひとすじ流れている。
外に出てみると、街灯の真下にある路肩に乗り上げている。ガードレールのない崖の方ではなくて良かった。
車は突き出した倒木に横腹をぶつけてへこんでいたが、命があっただけ物種だ。携帯を取り出すとアンテナが一つだけ立っている。ほっとして地図を呼び出し位置情報ををオンにする。
本道からそれて林道に迷い込んでいた。崖の方をすかして見つめると木々の切れ目から街の光がかすかにまたたいていた。
その時、はっと気づく。友人のつぶやいた「け…ぃ」というつぶやきの意味を知った。あれは警告だ。いつもどこかで訪れる危機に照らす。
無言で運転席に乗り込んでシートベルトを引く。
ぼんやりと座り込んだままの友人が、血の気のない唇を動かした。

「残念、残念」

ぎょっとして凝視すると、周り中からどっと笑い声が響いて山なだれが落ちて来るようだった。

わはははははは。はははっははは。

無視だ。反応してなるものか。
ハンドルを握りしめ、エンジンをかける。一発でかかった。アクセルを踏むと同時に、背後の闇からあざけるような声がした。

「またおいで」



おわり


唐突にどうした!?という感じなのですが、最近ホラー投稿されてる方がいたので、昔書いたやつを引っ張り出してきました(#^.^#)

こわくないと言われたし、あまり気に入ってなかったけど、放出!

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