母の日の憂鬱
小学生の頃、学校で「お母さんいつもありがとう」という手紙を書かされた。
家に帰ったら手紙と一緒にお母さんに渡すようにとカーネーションも1輪配られた。
それらを家に持ち帰り緊張しながら継母に渡した。
さっき起きたばかりの不機嫌そうな表情をした継母は鈍重な動作で受け取り、その後こちらに向かってなにか言ったような気がするけれど覚えていない。
昨今、こういった暴力的な活動が学校からなくなっているのか気になる。
お母さんがいない家もあるし、いても「お母さんありがとう」と言える家ばかりではないだろう。
ということをあの頃の教師も知らないわけがないのに。
少なくとも私は、当時「お母さん」という役割を担っていた継母に強い恐怖を感じていて温かい感謝の気持ちなど抱いたことはなかった。
普通のお母さんは7歳の子供に包丁を投げつけて「それ使って死ね!」とか言ったりしない、ということに気がつくのはずっと後のことだけれど。
授業参観のお知らせが書かれたプリントを継母に渡したら、「授業参観を見に来てください」と正座をして頼めと言われたことがある。
こちらは継母が来ても来なくてもどうでもよかった。むしろ来ないでほしかった。でも従わないと怒鳴られたり殴られたりするので言う通りに正座をしてお願いした。
しかし授業参観当日に継母は現れなかった。
帰宅すると寝起きの継母が何事もなかったかのような顔してテレビを見ていた。
理不尽、という言葉は知らなかったけれど、そう感じた。
約束は簡単に破られ、機嫌によって毎日言うことが変わり、なにか気に入らないことがあれば怒鳴られ殴られる。
そんな日常で「感謝」の気持ちなんて持てるわけがない。
毎年、母の日と父の日が来るたび、感謝できる親であってほしかったという思いが湧いてくる。
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