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友達が相方になった日

先日行われたTHE W というお笑いの大会。

惜しくも準優勝に終わったAマッソというコンビの単独ライブを見に東京に夜行バスで向かった2017年3月。

大学生になる前の春休み、高校の卒業旅行向かった東京。お目当てはスカイツリーでもディズニーでもなくAマッソの単独ライブだった。

私がAマッソの存在を知ったのは高校3年生の秋頃だったと記憶している。深夜のネタ番組で初めて見て衝撃を受けた。

そして次の日学校で、お笑い詳しい友達に話した。

2人でAマッソのYouTubeチャンネル「ゲラニチョビ」を見るようになり、どんどんハマっていった。

その友達は高校3年間クラスが一緒、部活も一緒。だから一緒にいることが多い。ただそれだけ。別にクラスが違えばそんなに仲良くなっていなかったかもしれない。

一緒にいる時間が長いから友達になっただけ。性格も価値観も違う。実際、大学生になり東京で一人暮らしを始めた私の家に夏休みを利用して友人が2週間滞在した時は私は友人過多からイライラが止まらなくなってすごく辛かった。

話しを戻そう。

高校3年生の時の担任は朝の会の中で日直にスピーチをすることを求めた。スピーチといえどスマホを見ながら心理テストをする女子や部活の試合の宣伝をするラグビー部など自由な時間だった。

「漫才をやろう」

とても小さいがエンジンが動き出す音が聞こえた。

センター試験を控えた12月、Aマッソにどっぷりハマった我々は寒空の下、公園でネタ合わせをしていた。Aマッソの「総理大臣」という漫才の中身をクラスメートや先生をイジる内輪ネタに改良し、翌日の私の日直当番に備えた。

本番は途中ネタを飛ばしながらも内輪ネタだからウケた。その後も何度か漫才を披露した。

私にはエンジンがかかっていた。かかってしまっていたと言う方が良いかもしれない。

大学生になるとYouTubeを始め、M-1グランプリにも挑戦した。全く結果は出なかった。

彼は社会人になった今でも夢を捨てきれない私に付き合いYouTubeを撮ったり、M-1に出たり相方として居続けていてくれている。

ほとんど学生時代の友人たちとの関係が薄れていく中で唯一変わらない濃さの繋がりを持つ友人。

Aマッソに出会わなければ漫才をすることも無かっただろうし、彼とは既に疎遠になっていたかもしれない。

私が「Aマッソって知ってる?」って聞いたあの日、友達が相方になった。

私にかかったエンジンの歯車が相方も巻き込んだ。

社会人となってもゼロからイチを生み出すことで成功することを夢見る私に相方はいつまでついてきてくれるだろうか。

私の中のエンジンは止まりそうにない。

このまだとてつもなく小さなエンジンがとんでもなく大きな夢を動かしてくれると信じている。




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