見出し画像

ピカチュウとエドウィン・マルハウス

息子がポケモンにはまった。

「ピカチュウは100まんボルトのこうげきができるんだよ!」
「ポケモンの中でいちばんすきなのがピカチュウ!」ポケモンの中でも、すごくピカチュウが好きらしい。そしてピカチュウやポケモンボールの絵も上手に描いてくる。

一番興味深いのは、息子はポケモンがすごく好きらしいが、息子がプライベートの中で、ポケモンにつぎ込む時間は殆ど無いこと。
実は、家でポケモンのアニメを観た事もないし「観たい」とも言わない。ポケモンのゲームやおもちゃも持っていない。そして「欲しい」とも言わない。
彼は保育園のクラスの友達から輸入された情報だけでポケモンを愛している。そして、それだけでピカチュウやポケモンボールも描けるように努力を重ねた様子。

多分、息子は保育園の社会の、コミュニケーションの1つとしてポケモンを好きでいるだけ。「好き」と言っても「保育園のともだちが皆好きだから」もしくは「保育園の勝ち気な男の子がポケモン好きで、その子と仲良くしたいから」の前置きがあっての「好き」だったりするのかなぁ。と想像した。そして「わーそれって何かすごいなぁ」と感動した。

保育園も年長クラスになって、面白いな。と感じるのは子供の社会が出来上がっていること。クラス内や男の子の中でのヒエラルキーがちゃんとある。小さな社会が出来上がっていて、それが「全て」で息子は毎日生活している。
それを見ていると「なんだか懐かしい」とじわじわして、少し悲しくなる。息子はこれから色々な子供の社会に属していって、どう変わっていくんだろう。
息子がポケモンの話をしたり、ピカチュウの絵を一生懸命描いている姿を想像する度に、なんだかとても陰影の強い光の中に立っている気持ちになっている

そしてふと思い立って本棚から「エドウィン・マルハウス」というミルハウザーの小説を取り出して、ぱらぱらとめくって読み返してみた。

「11歳で死んだ天才少年作家エドウィン・マルハウスの克明な伝記、しかも書いたのは同い年の幼なじみの親友」という【設定】で書かれた、この小説は、 主人公エドウィンの幼児期〜少年期〜思春期までの、切なくて愛おしいこどもの世界が、凄く細密に書かれてる。
持ち合わせているエネルギーの発散の仕方がよく分からずに、めちゃくちゃ執拗に書きなぐる。子供時代にしかない陰影のつよい純粋でダークな世界が詰まっていている。そんな内容の小説と、最近の息子の様子を重ねてみた。

「あー。息子もエドウィンだ」どっぷり濃密な子供の宇宙。

彼が持っていた才能は、夢想する力の一途さ、そして何一つ手放すまいとする執拗さだ。何かに執着できる能力。天才とは何かに執着する能力を維持する才能である。君も僕も誰もがかつては天才だった。僕ら一人一人がみんなエドウィンだった。しかし、じきにその才能は擦り切れて失われ、7歳にもなれば、ひねこびた大人のミニチュアになってしまっている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?