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自己紹介

はじめまして、【平谷 天真音(ひらたに あまね)】と申します。

「私が好きな私って、どんな感じ?」

そう考えたときに、思い浮かんだのは、
「自分の心に正直に、心軽やかに生きる私」でした。

でも実際の私は、自分を堅い枠に押し込めることが正しいと信じるあまり身動きがとれず、しかも無理を重ねて築いた土台は限界を迎え、いまにも崩れ落ちようとしていました。

ありたい姿から遠く離れた現実を変えたのは、私が土台を見直す必要にかられたためでした。
そのきっかけの話を、少ししたいと思います。

50才になる前の私は、
いつも誰かに言われたことを受け入れたり、
反発したりしながら生きていました。
人の言う幸せを追い求め、それを手にしたにもかかわらず、
これっぽっちも満たされない焦燥感。
ときに親や世間に求められることに逆らい、
そんなのは私じゃないと行動したこともあったけれど、
そこには常に、自分が正しさから外れているという意識が
つきまとっていました。

誰かの言うままに生きるのは苦しい。
けれど、そこから外れれば罪悪感に苛まれる。

どんなに頑張っても足りないし、心が満たされることもない。
私の人生は、この想いを抱えたまま終わるんだと思い定めていた私に、
転機が訪れたのは49才のときでした。

乳がんの宣告。
7センチの本体から、腫瘍は枝を伸ばすように乳房全体に広がっていて、
リンパ節転移あり。
「全身にがんが散っていると考えた方がいい」
「現代の医療では、できることはないということになるかもしれません」
医師は、そう言いました。

あと数か月で自分という存在が消えてしまう。
その可能性を目の前に突き付けられたとき、
私にとって自分のカラダより大切なものなんて、
何一つ存在しないことに気付いたのです。

自分のカラダを大切にすることは、とても自分本位です。
どんなに疲れていても家族のために、
仕事のために我慢することは正しくて、
カラダを酷使すればするほど世間は評価してくれます。
だから自分のカラダを第一に考えて生きるなんて、
私にとっては我儘以外の何物でもありませんでした。

幸せになるには、自分の役割から逃げてはいけない。
我慢して、頑張っていれば、いつか報われる。
痛いとか、横になりたいとか、
そういうカラダの声を聞き流せることに価値さえ感じていました。
でも、そうじゃなかった。
カラダが無くなれば、
全て跡形もなく消えてしまうのです。

こうして私は、病気に直面したからという自分勝手なキッカケで、
自分のカラダと正面から向き合うようになりました。

自分のカラダを大切に扱うということは、
世間に価値を認められたり、
誰かに大切にされることを求めるのではなく、
私が、私自身を大切に扱うということ。
自分は、大切にする価値がある存在なのだと、
自分自身が、認める行為なのだと思います。

このnoteでは、カラダが気付かせてくれたこと、私の考え方やモノの見方がどう変わったのか、書いていけたらと思っています。
東洋医学、九星気学、再生医療など、カラダのために学んだことが、私にどう作用したかという体験も。

これから、どうぞよろしくお願いいたします。


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