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田舎から都会へ出ていくこと

北の国からというドラマ、連ドラのときから2002年の遺言に至るまで
すべて好きなドラマなのですが
その中で、どうしてもそれは違うんでないの?というシーンがあります

母親の不倫をきっかけに、純と蛍と父親の故郷である北海道へ帰ってくるのですが、純はその生活に馴染めずに母親のもとに帰りたがります
父親も純には手を焼いており、どうしても帰りたいならと
東京の母親のもとに帰すことに

叔母のゆきちゃんと駅に向かう途中、草太兄ちゃんの父親が云います
「おまえら、負けて出ていくんだ。俺たちを捨てて出ていくんだ」と

北海道の過酷な自然の中で暮らしている人からすれば
都会は便利でなんでもあって、欲しいと思えばすぐに手に入る
そんな、何も苦労も知らないで生きているように見えるのかもしれない
だけども、別に田舎から上京することが「負けた」ことになるのか?と
それはなんというか、言葉悪いけども
云ってみれば、田舎者の僻みっていうやつなんじゃないかと
東京だってどこだって、生きていかなきゃならないのは変わらないんだし
そんな云い方しなくてもいいのにな、と思ってました

田舎だろうと都会だろうと、必死じゃない人間なんていないのに

あと、連ドラの後半の方で、母親が原因不明の病気になるんですが
母親は恋人の紹介された病院を信じ切ってしまっていて
他の病院で診てもらおうとしません
恋人も、何故か他の病院で診てもらおうと云いもしません
もともと死んでしまう設定だったからなのか知りませんが
やはりどこか不自然さが残ってしまいます

母親が亡くなったあとは
何故か、不倫していたことがなかったことみたいに扱われてたし
五郎さんも、すっかり許しているって感じで
遺言のときに、純が人妻と、って話になったときにはじめて触れましたけど

あとは、草太兄ちゃんはずっと草太兄ちゃんでいてほしかったですね
あんな死に方してほしくなかった

。。。と北の国からで、どうしてもひっかかる点についてでした
好きなドラマなのでね、あれ?それってどうなの?っていう
多分、脚本の倉本聰の思想が色濃く関係してるんでしょうが





#ドラマ #北の国から #田舎から都会へ #負けて出ていくんだ #都会へ出ることは負けなのか #母親の死 #草太兄ちゃん

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