【書評】ねむらない樹vol.1

現代短歌の現在を知るためには最良のムックである『ねむらない樹』。その書評を「かばん2018年11月号」より、以下転載する。

「短歌ヴァーサス」から「ねむらない樹」へ

 「短歌ヴァーサス」を思い出した人も多いのではないか、と思う。「短歌ヴァーサス」とは、荻原裕幸責任編集で刊行されていたムックである(風媒社より季刊にて全11号刊行)。既刊の総合誌とは一線を画す内容で、創刊号の特集が「枡野浩一の短歌ワールド」。さらに歌葉新人賞を掲載し、第2回の受賞者が斉藤斎藤、第4回が笹井宏之と、実力ある歌人の輩出にも貢献している。

 本書「ねむらない樹」は、その笹井の一首

ねむらないただ一本の樹となってあなたのワンピースに実を落とす
(『ひとさらい』 Book Park 2008)

から書名をとっており、「笹井宏之賞」なる賞まで創設されている。「短歌ヴァーサス」と関連性や共通項が多いのだ。

 ちなみに、荻原は、ツイッターで次のようにつぶやいている。

書肆侃侃房から出た短歌ムック「ねむらない樹」創刊号。ざっと読んでみた。日頃、短歌に対して私(たち)が求めていることを可視化した、という印象だった。無理も背伸びもしていない。きもちのいい仕上がりだと思う。「短歌ヴァーサス」の頃の、孤立感のようなものを思い出して、何やら、複雑、複雑。(2018年7月27日 荻原裕幸ツイッターより)

 「短歌ヴァーサス」が創刊されたのは2003年。その当時は、それまでの短歌誌とは異なる試みを「孤立感のようなもの」を感じながらすすめていた。今「ねむらない樹」からは孤立感どころか、みんなが集まって作り上げているという熱気が感じられる。そしてそれに対する「歌壇」の受け止めも、おおむね肯定的に見受けられる。

 少し気になるのは、「短歌ヴァーサス」は主にニューウェーブ世代とそれ以降の歌人を中心として扱っているが、それから15年経った「ねむらない樹」においても、この世代がしっかりと顔を出し、核にもなっていることだ。彼らよりもっと若い世代が、上の世代とは異なる何かを作り出してもいいはずだが、いつのまにかすっきりとしたゆるいヒエラルキーが形成されていて、何やらおだやかである。ニューウェーブが試みた場の形成が、ようやく実を結んだともいえるのだろうが。

「ねむらない樹」は「別冊かばん?」

 さて、この「ねむらない樹」であるが、「『別冊かばん』っぽい」、と言ったらお叱りをうけるだろうか。ページをめくると、巻頭エッセイの穂村弘にはじまり、編集人経験者の名を複数含む現会員・元会員の名がちらほら。編集委員のうち佐藤弓生、千葉聡、東直子の3氏もかばん会員である。

 短歌の現在の勢いを示したといっていいムックにおいて、多くの会員が名を連ねているのは、かばんが30年の間短歌界で中心的な役割を果たすとともに、常に新陳代謝のよい集団であることの証左ではないか。(笹井についても、「未来」に所属していたものの、かばん購読会員であり、かばん関西歌会には常連として参加していた縁の深い歌人である。)

「ニューウェーブ」等、特集・論考の豊富さ

 本誌の内容については、「新世代がいま届けたい現代短歌100」「現代短歌シンポジウム ニューウェーブ30年」など興味深い特集が多く、各論考も切り口が多いため、読んでいて飽きることがない。

 ニューウェーブについては、加藤治郎、西田政史、荻原、穂村の4氏によるシンポジウムが詳録されている。「ニューウェーブという言葉によってくくられる短歌史の認識に関しては、なんで林あまりさん、早坂類さん、干場しおりさんなどが、あまり論理の俎上にあがってこないのかずっと疑問」と、会場の東の指摘を受ける形で、加藤が、ニューウェーブとはあくまで4人(荻原、加藤、西田、穂村)である旨の返答をしており、(まさに「ニューウェーブ・カルテット説」とも言っていい主張をしているが、)「今後もっと議論すべきところ」とも言っており、引き続いた議論が求められるだろう。

「短歌ヴァーサス」の11号を超えるか

 一読して興奮冷めやらないのだが、心配なのは、これが短歌ヴァーサスの刊行号数を超えるかどうか、という点。このボリュームで刊行が続けられるのだろうか。次号は19年2月刊行とのことなので、半年に1冊、無理のないペースで、「無理矢理特集を作った感」ではなく、「その特集を組む必然性の高いものが編まれた1冊」として、末永く刊行してもらいたい。

 ・「ねむらない樹」(書肆侃侃房 2018)
 ・本稿初出 「かばん2018年11月号」(編集部へ掲載許諾済)

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