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”生きとし生けるもの”という千年以上使われている日本語 に思う


#国語がすき


日本人であれば、誰しも一度ならず”生きとし生けるもの”という言葉を聞いたことがあるでしょう。

一千年以上前に書かれた古今和歌集の中にこの言葉が既に使われていたことを、皆さんはご存知でしょうか?

”花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける”

一千年以上経ってもなお一定の重みを持って使われ続けているこの日本語。
畏敬の念を覚えずにはいられない言葉の一つです。

仏教の教えの中でも、「一切衆生悉有仏性」といって、全ての生きとし生けるものは、仏性、仏様になる可能性を有している、と伝えています。

この世の中に存在する全ての物には魂が宿っているという世界観。       動物や人間だけでなく、河原の石ころにも、道端の草にも、水にも星にも、森羅万象全てに命があると、日本人はずっと教わってきましたし、今もそう考えている人は大勢います。

植物に朝、「今日も綺麗に咲いてくれてありがとう」と「大きくなーれ」など暖かい声をかけて水をあげると、食物が生き生きとする例は枚挙にいとまがありません。

一例を挙げると「水は答えを知っている」(江本勝 著、サンマーク出版他)が、水を氷にしてその結晶の形を非常に興味深い結果とし報告しています。

「ありがとう」という言葉をかけると見事な形の整った氷結晶を形作り、「馬鹿野郎」という言葉をかけると形すら形成することができない。など、人の発した言葉=エネルギーが、受けたものにどんな影響を与えるかを、豊富な写真で実験結果を載せていて、きれいな言葉の大切さ、意味を改めて認識させられます。水がエネルギーとどう密接に関わっているかを教えてくれる一冊です。

私はトロントでこの本の普及に努めている女性の講演を聞いたことがありますが、言葉のエネルギーレベルが対峙する物にどのような影響を与え、受け手が反応するのかをビジュアルで確認するようで、大変興味深いお話でした。

またストーンアーティストの中田明恵さんは、石の形を一切変えることなく、石にペイントを施し、まるで生きているような動物へと変身させます。彼女の作品からは本当に石から生命が発せられているように感じます。

彼女曰く、「石の内側にあるものの中から生き物の気配を見つけて制作するので、描くものを決めているのは私ではなく、石だと感じています。」とのこと。まさしく、石ころの中に有る仏性と自身が一体となる体験のできる、のエ感性がずば抜けている日本人のお一人であると言えると思うのです

自動炊飯器の発明により、日本の主婦に多大な恩恵を与えた政木和三先生は、天才発明家であると共に、精神世界の第一人者でしたが、彼の動画を拝見すると、「真理は自然の中にある」と様々な例をあげて熱弁されており、自然が宇宙との窓口であることを体現された方だと脱帽します。

日常の慣習を見て見ても、どれだけ科学が進歩しようとも、新しく家やビルを建てるとき、工事を開始する前には、私たち日本人は、いまだに神官や僧侶を招いて地鎮祭を開き、お清め、お祓いを行います。もともとその土地に育っていた木々や植物、土地に「すみません、この場所を私たちのために使わさせて頂きます。」と挨拶し許可をもらい、無事安全を祈願します。

私たちは一体誰に頭を下げているのでしょう。

そうです。

これからお世話になる自然と土地です。私たちが短期的侵入者であり、「すみません。使わさせて下さい」と木、一本ないがしろにせず、私たちの生活を支えて下さる自然にまず敬意を払い崇める日本人の心の表れで、素晴らしい習慣だと思います。

拙著「世界が憧れた日本人の生き方」の中でも述べましたが、明治初頭、1862年に日本へ初来日したイギリス人外交官のアーネスト・サトーはある旅道中で、道路脇に植林された樹木の傍に立てられた立て札に目を留め、

”この樹木は夏の暑さ、冬の寒さを防ぎ、春には花、秋には紅葉で旅人の目を楽しませてその健康を守り、疲れた旅人に長い道のりを忘れさせる目的で植えられた。そのため、旅人であれ、村の子供たちであれ、如何な る人間も、枝を折ったり、木を傷つけるような行為をしないよう注意しな ければならない”

という内容であることが分かると、彼は感動し日記にその日の発見したこととして記しました。

日本国土上には、全国津々浦々、御神体が散りばめられています。御神体とはご承知の通り、神が宿るとされる物体です。代表的なのは富士山でしょう。日本最高峰の山が日本国の御神体なのです。

富士山にはその地下にも山頂にも神社があります。山、島、滝、岩、木、鏡、剣など古代から礼拝の対象となってきた御神体。日本は21世紀に入り、ロボットやAIなど、新技術の開発に注入するその一方で、同時に数千年に渡る自然崇拝を維持しているのです。

天照大御神は太陽を神格化した呼び名です。皇室の祖神で、日本全国に天照大神を祀る神社が分散しています。

初日の出を拝みに行く日本人の習慣も興味深いとお思います。古来から続いているので、特になぜ、と意識したことはなかったのですが、調べてみると、日本では古来より、初日の出とともに、年神様へその年の豊作や幸せを祈る意味があるそうです。

元旦に、天皇陛下は天地、四方、及び山稜を礼拝する「四方拝」をなさっているとのことですが、庶民もこれに習い、日本国民のDNA がこの習慣を続けていると言えるのでしょうか。山や高いところから見える日の出を、あえて「ご来光」と太陽を光と捉え、別格の呼び名を当てるところにも、自然に対する深い畏敬の念を感じられます。

日本人である私たちは、人間は自然に守られ支えられているからこそ生きていくことができる、と自然の摂理に対する絶対的崇拝が根底にあるのです。

日本人は水一滴から富士山、太陽、しいては時間(新年)にまで、魂を見出しているのです。

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