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朝凪の海に想う

(『本好きの下剋上』二次作品です
*死ネタです*苦手な方はご注意ください。)

ゆうべローゼマインが死んだ。
それは本当にあっけない死だった。
アレキサンドリアの女性アウブとして領地を発展させ、4人の子供にも恵まれた。既に長男に領地も譲り、名捧げ側近達も第一線を退いている。
丈夫になったとはいえ虚弱な彼女はアウブ引退の際に名捧げの石は返していた。この私の石でさえ。
この件でアレは私の願いを聞きいれてくれなかった。
頑固なのである。どうしてここまで頑固なのか。
こんどみっちり説教せねばならない。
私がどれだけ君を愛しているか、君がいない後の世界になど留まっていたくないことを知らしめなくてはいけない。

涙は出ない。
胸にぽっかりと穴が空いたようだ、と話にはよく聞くがこれがそうなのか。
痛みもなにも感じない。頭が回らない。
今まで生きてきて自分がこんな風に暗愚な状況だったことは一度もなかった。少しでも油断すれば足を掬われる。
でも今はどうでも良い。
何もかもどうでも良い。
葬儀のあれこれも領地のあれこれも子供達が差配してくれた。
私はその間言われるままに動いていた。
かろうじて言われたことはできる。
ディナンに指示されて動く魔術具のように。
挨拶を受けたりもしていたようだが、もはや記憶にもない。

ユストクスに隠し部屋で休むように言われた。言われるままに入る。
この頃もう何か自分で考えて動くことが億劫なのだ。
いつもアレがにこにこと楽し気に本を読んでいた長椅子が目に入る。
姿を探すが居ない。どこに行ったんだろう。
また私に連絡もせずに勝手にふらふらと出かけたのだな。
帰ってきたら今もなお柔らかい頬を抓ってやらねばなるまい。
よく微笑むのでさすがに目元には笑い皺があるが、肌はいまだに滑らかで口づけしても甘い。今すぐにでも甘い口づけがしたい。
私はなぜここに一人でいるのだろう?何をしに?
ああ、ユストクスがお茶を用意してくれていた。サンドウィッチもある。
アレが命じたのだろうか?食べておかねば残しているとぷひぷひと怒るのだ。空腹は感じないがこういうことではよく怒るローゼマインの面倒くささを考えて口に入れる。私の好きなガルネシェルをマヨネーズで和えたものが挟んである。なんだか久しぶりに食事をした気がした。

時間の感覚がない。なぜいつまでも戻ってこない?
なんだかどうでも良い。
私に用がある者がいれば呼び出しもあるだろう。
今は特に何もない。
すべきこともない。
なぜここに一人で居るのだろう。
私の隣にいつもあったあの暖かい体温がなぜ今ないのだろう。
…そうだ…アレに回復薬を作ってやらねば。戻ってきた時に飲ませてやる。
唐突に脈絡なく思い立って調合用の棚に向かった。
いつもの調合鍋を置くと見慣れない魔法陣が透かし見える魔石が鍋の底にあった。手に取ると私の魔力に反応してぱーっと映像が浮き上がる。
光の中に私の全ての女神がいた。

「フェルディナンド様」
少し若いローゼマインがにっこりと微笑んで呼びかける。
「ローゼマイン!!ここに居たのか!」
手を伸ばすが映像の中を虚しく突き抜ける。
愛しい君が光の中でこてりと首を傾げる。
「今、これをご覧になっているということは、私は高みに上ったのですね。」
そうだ、君は死んだのだ。そうだった。あまりに急に居なくなった。
君は居ない。そうだ、もう居ない。ずっとここで待っていたのに。
「フェルディナンド様。食事は摂りましたか?きちんとお休みされていますか?」
「さきほど食べた。君が用意させたのであろう?」
君は答えず、にっこり笑う。
「フェルディナンド様。わたくし、このような仕掛けをいくつもご用意してあります。お食事を摂って毎日きちんとお過ごしくださったらまたお会いできます。約束ですよ?さあ、この後はゆっくりお休みください。」
「ローゼマイン!!」
会話が成り立たない。君は答えない。
空いていた胸がちくりと痛んだ。
ずっと痛みも何も感じなかったのに。
映像の中でローゼマインはゆっくり椅子に腰かけフェシュピールを奏でながら歌い始めた。
彼女が作曲した(いや、あちらの曲?確かブラームスとか言ってたな)子守歌だ。優しい歌声が私を包む。
空いたままだった胸の穴に歌声が入り込み身体が暖かくなってきた。
私の頬をだらだらと涙が流れた。
冷たかった頬に君の温もりのような涙。
流れるのに任せて歌声を聴く。君はフェシュピールも名手だった。
ずっと聴いていたいのに、泣き続けた私の瞼が重く下がっていく。
心地よい歌声に私は抗えず眠りに落ちた。
ローゼマインが亡くなってから初めて落ちた深い眠りだった。

夜明けの凪いだ海を見ている。
私もすっかり老いた。
おそらくはアレのいるであろう女神の図書館に、ほど近い内に上って行けるだろう。
あの日生きる屍のような私をユストクスが隠し部屋に入れた時、万一自分が先に逝った場合にとローゼマインから預かっていた魔石を調合鍋の底やいくつかの場所に置いたのだった。
それらは私が通常の行為を何かしようとした場合にのみ見つけられる場所に。そして元名捧げ側近らにはほかにも細かく約束事とともに預けられており、私はどこにどう出てくるか分からない仕掛けのために彼女が居た頃のような生活を続けた。探しても無駄なのだ。彼らが差配するものだったから。
それに従い、気づかわし気に向けられてきていた周囲の者の目も、徐々に安心したものになっていった。

出てくる映像はホログラムと言うのだとハルトムートから説明され、その研究も始めた。立体的に映像が再現されるなど、あれの発想はどこまでも非常識極まりない。いや、おそらくあちらの知識なのだろう。その研究は心躍るものだった。君はいつの間にこれを私に内緒でハルトムートと完成させたのか。
私に説明する時の君の赤毛の元筆頭文官は誇らしげでうっとうしかった。
君に命がけで仕え続けたかの者に与えた最後の褒美だったのだろう。
誇らしさもさもありなん。…少し妬ましくあった。
私ならもっとうまく造れたのに。
その為に研究を始めることも君に予測されていた気はする。
…少し腹立たしい。手伝うユストクスがによによしている。

あの日、隠し部屋で君のホログラムを見ながらみっともなくだらだら流れるに任せた涙。(深い眠りをもたらした子守唄はすぐに楽譜に起こした。)
子供のように私は泣きながら眠ったのだ。前にもこんな風に涙を流した時があった。海の見える東屋で。
すぐにでも後を追いたかった。君が居ない世界に未練などなかった。
それなのに。
君の術数にすっかり嵌められて気づいたら私の胸の空いた穴は遺された者たちとの生活で少しずつ埋められていったのだ。
私もまた愛されていたのか、君との子供たちに、君が教えてくれた家族や友人や周囲の者に。
君が愛した夜明けの海は穏やかで美しい。
今の私の心のように静かに凪いでいる。
幸福だった。君のお陰で幸福だった。

(追記)
しばらくして、動かなくなった主の元に離れて警護していた側近達が近づき、海が見える東屋の椅子で眠るように少し微笑みを浮かべて亡くなっているフェルディナンドを見つける。穏やかな朝だった。
                              了

(補記)
アレキサンドリアでフェルディナンドとローゼマインが領地を発展させつつ、子供も無事に育てあげた後のお話。
ローゼマインは迂闊なのでフェルディナンドの心の準備もないまま急死。
急死は残された人は辛いです。
ただ、名捧げ石を返すことを考えた時にもしもの時のためにフェルディナンを生かすためのアレコレを考えたローゼマイン。
前にXで呟いた下記のネタです。
この時読んでいた本とは『大切なことほど小声でささやく』森沢明夫著です。この中の一篇が元になっています。

Xの呟きはこちら↓午後4:01 · 2024年2月12日
(📚好き専用)haneusagi @haneusaamano
■今読んでる本で、5歳で亡くなった子供が死期を悟った際に家のあちこちに両親に向けて色んなメッセージを書き込んでいてそれに救われていく話出てきて。滂沱;死ネタ弱い;本好きで、マがもし先に亡くなったら、フェルが1人でも生きて行けるようにいろんな仕掛けを残しそう。考えただけで泣ける。
■まずは自分達の子供を支えるように言い残すだろうし。フェルが居ないとダメなのです。1人になった寝室でいつも隣にあった暖かい体温や寝息を思い出す時、堪えないで泣けるようになるだろうか。
■マが愛した夜明けの海を眺めて、凪いだ静かな気持ちで最愛の死を受け入れる朝が来ると良い。支部にきっと傑作いっぱいあるんだけど、自分の為にいつか死ネタも書いてみたい。不幸だった数々の出来事がぱあっと幸福に裏返っていく瞬間って長い人生にある。夜明けの凪の静かな幸福を味わうフェルが良いな
■みんなに愛されていたマ。でも自分も、マ以外には誰にも一番には愛されていないと思ってた自分も、ちゃんと必要とされていたし愛されていたんだと、心に納得が落ちてくるような日が来ると良い。自分は十分幸福だったと、最愛を失ってから思えた朝。それで眠るように逝けたら向こうでマが待っている。


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