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~リアル・ファンタジー2~ よしながふみ『ソルフェージュ』

 (花音コミックス 現在紙本、電子書籍版ともに入手可能です。
感想、ネタバレありますのでご承知おきください。)

BLはファンタジーだ。とはいえ、魔法の世界でなんでもありにすると何一つリアリティがなくなって面白くなくなるように、描かない部分からも分かる生活というものが描けていたほうが私は好きだ。
そしてよしながふみの作品には主人公たちの生活、それも生計がきっちり描かれているのである。
例えば『ソルフェージュ』の主人公・久我山。
生活をする人間にはそれを成り立たせる生計というものが要る。一介の私立小学校の音楽教師に予測されるには不似合いな贅沢な部屋に住み、不自由ない生活をしているのは「金持ちのボンボンだから」。
このフレーズは久我山の口から何度か出てくるが、プロの声楽家である友人と呑んでいる店もいかにも高そう、着ている服も個性的でいかにもお金をかけてる。友人が声楽家になってるのだから、音楽が好きで音大に行ったのだろうが、別に自分でガツガツと生計を立てる必要もないし、プロの演奏家を目指すでもなく、とりあえず教育のほうに進んでなんとなく教師になってる。そういう「でもしか教師」なのだろうと推測される。
「でもしか教師」という言葉は今でこそあまり聞かないが「教師にでもなるか」「教師しかなれない」といった消去法で自分の進路を決めた教師達のことを指す言葉である。久我山は家がとんでもない金持ちなので(とんでもない金持ちなんだなというのは物語の後半でも分かる)、熱心に教師を勤めていたわけではない。
だがそんな風にやる気がなかった筈の彼には音楽教育に対して稀なる才能があったのだ。熱意はなかった筈なのに彼は結局は教えることが好きだったのだろう、そして「むやみに音楽指導の才能を垂れ流していた」。

 音楽を題材にした作品はけっこうあるが、音楽を教える側を主役にした作品は実は珍しいのではなかろうか。ヤンキーになりかけていた教え子・田中吾妻は久我山に教わった合唱の楽しさから声楽の道に進みたいと目覚めた。「クラシックは俺みたいな金持ちのボンボンにしか似合わない、お前みたいなヤンキーはロックでもやれ」という久我山のセリフには受けたが、各音楽ジャンルがもつイメージのステータスというのは実はある。
しかし田中はそんな言葉はさらっと受け流して「ロックにはハーモニーがない、おれはハーモニーが好きなんだ」と言う。久我山の言葉には暗に「クラシックは金がかかるぞ、どうするんだお前?」という忠告が含まれていた筈なのだが、まだ子供である田中はそこを一切飛び越えたのだ。
語彙量も少なく、楽典など一切知らない人間にして久我山の琴線に触れることをさらっと言ってのけた田中が後にプロの声楽家になるに足る、音楽への素直な理解力と熱意を示した一言でもあった。その一言で久我山は田中の援助をすることを簡単に決意したのだった。
それはやはり経済力に余裕がないとできない相談ではある。久我山の金持ちのボンボンっぷりを描くことで、田中吾妻の指導者兼スポンサーという稀なる関係は作品の中で十分リアルなんである。

 田中の母親は銀座で店を構える水商売の人である。女手一つで育て上げてる代わりに母子の関係は非常に危うい。経済力も危うい。この危うさが物語を動かす。お蔭で音楽の面倒だけでなく生活まで見ることになる流れに無理がない。
田中は世界で活躍できるほどの声楽家として成功を収める。
しかし田中自身が活躍することはこの物語の主眼ではない。
田中が海外に留学しそのまま海外でプロとして活躍しだした一方で、田中によく似たセフレとの痴情のもつれから刃傷沙汰になり教師を辞めざるを得なかった久我山は、ゴシップを嫌った家の力で仕事もせず蟄居させられ日々をぼんやり過ごしていた。
働き盛りの世代の男を何もさせずに田舎に引っ込ませたままにするという久我山の「家」がいかに名家であったか、それもここで分かる。金にも食うにも困らないとはいえ、何か好きなことができるわけでもなく、人との付き合いも許されず飼い殺されている。
田中は久我山の元の教え子でやはり久我山の影響で音楽教師の道に進んだという津守とともに彼を探し出し、現実世界で再び音楽指導の場所に戻るよう迎えに行く。
久我山は無自覚な才能の持ち主だったが、自分の恋情にも無自覚だった。自分の教え子であった田中への気持ちを自分で認めることもなかった。田中も自分自身の気持ちが尊敬からなのか愛なのか分からない。そんな二人を結び付けていたのは音楽への愛だった。

 再び子供たちに合唱を教えコンクールの舞台に立つ久我山の指揮が終わった後鳴り止まない拍手。コンクールの会場ではありえないアンコールに至る長い長い拍手の場面は読むたびに号泣である。
久我山先生指導の合唱を一度聴いてみたいと心の底から思うのだった。

(補足*昔、サイトで公開していたBL作品紹介文に少し手を入れて再掲します。<24のセンチメント>14)

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