見出し画像

~文章では隠せない~ 鈴木ツタ『メリー・チェッカー』

(キャラコミックス 現在電子書籍版で入手可能です。
感想、ネタバレありますのでご承知おきください。)

 鈴木ツタ作品を最初に好きになったのは『この世異聞』シリーズだった。耳としっぽがある人との怪奇ファンタジーな世界もなかなかにエロティックで良かったが、他の作品もと読んでみて会社員モノもやっぱり面白かった。いつも書くようにリアルに仕事してる感じが出ている作品だからというのもあるけども、この作家のキャラで秀逸なのはサディスティックなツンデレの潔いまでのツンぶりである。
仕事が出来て有能で顔も良けりゃ頭も良い、向かうところ敵なしの状態。
これでさらに性格が良かったら一昔前の少女マンガの単なる王子様だが、この作家の王子様達は「勝手に夢見るな」とばかりに徹底して自己中心的だったりする。(『あかないとびら』)

 よく考えてみると、一方的に王子様扱いされて自分がなんとも思わない女子達(場合によっては男子)に自分の妄想を押しつけられた方は確かにたまったもんじゃない。それにしたってこんなに自己中心的で性格が悪い男、顔が良くて素敵でも私にはどこがいいのか分からんが?と読んでいくのだが、これだけ感じの悪いSが描ければそれに惚れこむ凄いMもいるという。
そんな王子様に惚れ込んでしまった主人公達のけなげさや情けなさがいじらしくも可愛いのである。(『みにくいアヒルと王子様』)
性愛というのは加虐と被虐がその割合は変われどどうしたってあるもんだと思う。一方は痛みを堪えて相手を受け入れねばならんのだから。
この作家の加虐と被虐の絶妙なバランスが私はけっこう好きなのかもしれない。

さて、タイトルを上げた「メリーチェッカー」。
まずこのタイトルの意味が分かるような分からないような?なのでしばし検索。
人気テキストサイト(ブロガー)の二人(一方は毒舌キャラ、一方は癒しキャラ)がオフ会で出会って…という話なので、チェッカーというのはアクセスが多くコメントも多い人気ブログを運営する主人公"塩たん"こと潮見が、休み時間ともなるとランチパックを片手にさかんにチェックしまくるのでそのあたりからとは思う。が、試しにネットで辞書を引くと「一時預かり」という意味が出てきて、にやりとした。
癒し系キャラで女子高生だと思われていたブロガー"みやたん"=宮さん=が実はのどかな顔した成人男性だった。それはなりすましでもなんでもなく自然体でとぼけた人だからなぜか女子高生と思われていたのだが。
BLなんだから当然(?)人気者の"みやたん"が潮見に会うと頬を染め、オフ会で会う前からずっとブログのファンだったとのたまうのだった。会ってますます潮見に惹かれて、普通に友人として会うのを続けた中で勘のいい潮見に"そういう意味"で好きだというのを読まれてしまう。
が、潮見はその気持ちを受け入れる。それこそ「一時預かり」という形ではあるが。同性だから無理だ、ナシだというのでなく、そういう可能性もありで付き合いましょうよ、ときっちり言う潮見は本当に男前だ。
なんせ頭脳明晰で有能なので、自分の感情を整理した最初の結論がそれなのだ。
ついでにメリーも調べると「めでたい、愉快な」などのほかに「ほろ酔い」というのも出てきた。「ほろ酔いで一時預かり」というのはこの物語を読んだ人にはにやりとする附合だ。(潮見が案外酒に弱く、最初のオフ会でも潰れて初対面のみやさんの部屋に泊めて貰ってしまうのだった。そして毎回飲むたび潰れる。)
普段は素を見せない潮見は飲むとすぐごきげんになって可愛いんである。
この附合は作者が含ませた符牒か、もし偶然にしてもちょっと面白い。

 己の弱みを見せたくない、可愛いなんて言われたくない潮見はまさに鈴木ツタ得意とするところのツンキャラなのだが、究極の癒し系・みやさんはこのツンに対しておおらかにのどかに受容してしまうのだ。
混雑していた電車でぎゃあぎゃあ騒ぐ若者達に殺伐としていた車内のムードを、ちょっとした処理で人情味溢れる雰囲気に一転させてしまうほど独特のみやさんのキャラもやはり秀逸である。
大柄な男なのにほんわか。シャイだけど大人。
ツンが攻めになるのが一昔前のBLだったかもしれないが、ほんわか・みやさんが攻めで、可愛いと言われたくないシニカルなツンの潮見が受けになる展開も自然に流れて行くのはさすがである。

さらにこの作品に出てくる「オフ会」の感じが非常に好きだ。
私個人はインターネットの前にパソコン通信時代があり、ニフティの会議室(今でいえばサイトの掲示板仲間、ここに出てくるブログのコメント欄など、テーマ別に趣味を同じくする人間がテキストでやりとりする場所)にさかんに参加して書き込みして気の合う人たちと実際に集まって飲んだりした。
例え文字だけのやりとりであっても案外人間の性格というのは出るもので、その中で話が合う合わないがあるものだった。そしてオフ会で実際に顔を合わせて話するとその印象をさらに確かなものにして、その後のやりとりはますます楽しいのだった。
今は昔からのそうした知り合いと会うことの方が多いが、文字だけのやりとりで先に知っていた人に初めて会う時のわくわくどきどき感はなかなかにない経験である。
潮見が初めて会う話題の人・みやさんに会うドキドキよりも、ブログで潮見のファンだったというみやさんのドキドキの方が上だったんじゃなかろうか。会ってテキストのイメージ通り出来る系のすっきりした男前っぷりを見たら二度惚れたみたいなもんだ。

この作品が描かれたのが2009年~2010年、今となっては当時全盛だったブログも衰退してきて、フェイスブックやLINEなどのSNSに移行し、そこでは元々の知り合いで作られるネット上の輪の方が優先的で、趣味嗜好が同じ仲間でつながって初対面の新しい出会い(それも出会い系サイトなどのような危なっかしいものではない)は作りにくいのかもしれない。
ネットの世界もどんどん移り変わっていくだけにここで描かれたオフ会の楽しさ、会った後のやりとりの面白さなどを共感出来る読者がこの後は減っていくのかもしれないのが少し残念だ。
それとも私の把握が間違っていて、SNSでも同じようなことはあるのはあるかもしれないが、ここで描かれているのは単にネット上の同じ場所で知り合ってすぐに初対面同士で実際に会うというのではない。いろいろ先にブログやコメントのやりとりで人柄を晒し合っていての出会いという部分。
ネット上には「なりすまし」という行為もあるし、潮見が自分自身のことを書いているようにブログ上のキャラ作りなどもあるのはあるんだが、それにしても大多数は書く内容ややりとりの中で思った以上に自分を晒してしまうものではある。
みやさんの外見は大男でも中身はブログ通りのシャイで人を和ませるほんわかキャラだったように。
文章というのは自分を隠して書けるものではあまりないということ、そしてそのやりとりで先に惹かれ合っていたとしたらそれは既に相手を受け入れていることだということ。
この作品はそんなことも改めて考えさせてくれるのだった。

(補足*昔、サイトで公開していたBL作品紹介文に少し手を入れて再掲します。<24のセンチメント>15)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?