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スローフードによる文明の転換を足元から進めていくためのガイドブック

立教大学特任教授
河口眞理子氏

アリス・ウォータースの『スローフード宣言』を読んでみて。
米国で最も予約の取れないレストランオーナーが書いたという発売前の白い本が送られてきた。レストランオーナーの本だからブログみたいな軽めの内容かと思って手に取り読み始めたところ、言葉は平易でありながらも、その一言一言が食文化についての論評であり、近代文明、工業化社会への深い洞察に基づく批判であり、自らが実践しているスローフードの提案によって文明の転換を足元から進めていくためのガイドブックでもあった。

発売前に制作したサンプル本

世界的に、近代化が進む中で、食の地位は低下しつづけてきた。一国の経済をみても経済発展に伴い2次産業、3次産業が成長して一次産業(主に食)のウェイトは下がる。自動車や家電などの工業製品や、IT技術やファイナンス、旅行やエンターテイメントなどの3次産業の方が、古来の営みである農業や水産業などより「高度」で「かっこよい」ことをやっているようなイメージがある。

加えて生活の中でも、調理や食事など「食」に使う時間は短縮して他のもっと高度でエキサイティングなことに充てるべき、という価値観が近代社会の前提となっているように感じる。

この「食」を軽視する発想のライフスタイルが、ファストフードを巷にあふれさせたのか。ファストフードの浸透が人々にファストフード的価値観をもたらしたのか、因果関係はわからないが、現在のライフスタイルは「ファストフード文化」がその基礎にあると断定しても許されるのではないか。

そしてこのファストフード文化の広がりは、便利で快適で都会的な生活を支えると同時に、人々の暮らしや意識の中の「食」のウェイトを低下させる一方で、工業製品としてのファストフードを生み出す食産業を深化拡大させつづけている。そしてそのファストフードライフスタイルが、残念なことに人と地球の健全性を損ねてしまっている。

本書を読み進めるなかで上記のようなことが頭の中にフラッシュした。そして翻って、私たちの暮らしと価値観が知らず知らずのうちにファストフード文化に侵されていること、そしてファストフード文化のきらめきの陰で私たちの持続可能性を損ねる問題が進行していることを再認識することができた。 

本書の前半は「ファストフード文化」

ファストフード文化を特徴づけるコンセプトを「便利であること」「いつでも同じ」「あるのがあたりまえ」「広告への信頼」「安さが一番」「多いほどいい」「スピード」とした。それぞれ私たちの生活で当たり前になっているものだが、それぞれが生み出した問題を暴き出している。

しかし、これらのキーワードは あまりにも広く深く私たちの生活と行動基準に組み込まれている。「環境が大事」「エシカルなものを優先して購入」と言いながらも一消費者としては「いまだけ3割引き」「10個買うと1つオマケ」といううたい文句には条件反射してしまう。

またモノを選ぶ際に「便利」は絶対的な説得力を持つ。そして恐ろしいことに、現在の食産業・食生活にこれらのキーワードがすべて当てはまっているのである。本書は「食」という切り口を通じて、現代の文明の矛盾と課題と人間の弱さを浮き彫りにしており、暗澹たる気持ちになる。

通常の本であれば、こうした課題のソリューションとしてフェアトレードや、パーム認証(RSPO),水産物認証(MSC)、オーガニック認証などが紹介されることが多い。そういうソリューションを私自身もあちこちで紹介しているし、そのインパクトは小さくない。しかしその都度、表現できない違和感を感じることが少なくない。

冷静になって考えてみると、そもそもファストフード文化を前提にした上でのサステナビリティには無理がある。例えばファストフード文化の代表である、マクドナルドのフィレオーフィッシュはRSPOの油で揚げた、MSCの魚だったりする。それ自体企業の取り組みとしてハードルの高いことなので、CSRにかかわってきたものとしては、高く評価はするものの、それはファストフード文化を前提にしている。

サステナビリティが、その対極にあるはずのファストフード文化を更に強化することになっていないか。果たしてそれで良いのか? 何もしないファストフードの企業よりずっと「良い取り組み」であるが、それが本来目指すことなのか。という疑問がわきあがる。

『スローフード宣言』目次

本書の後半は「スローフード文化」

前半の毒をデトックスし、新たな人生に踏み出す勇気をくれる。私が感動したのは、最初のキーワードに「美しいこと」をもってきたことだ。

そもそも人生の目的はそれぞれの「真善美」を追求するはずだったのに、ファストフード文化では、「より多くをより早く得ること」が目的にすり替わった。そのためには「無駄な」料理・調理はなるべく短縮するという悪循環の帰結がファストフード文化といえよう。であるとすればスローフ-ドはその対極。

本書には本当の人生の目的をもう一度取り戻すための道しるべが示されている。その第一歩が「美しいことを追求すること」。生物多様性、季節を感じる、預かる責任、働く喜びも、シンプルであることも、生かしあうつながりも、人生の本来の目的、真善美の追求につながっている。

写真提供:他郷阿部家

愛情をこめて自然の力を信じて育んだ素材を、丁寧に調理して、愛すべき人達と食卓を囲み、ゆったりと味わって食べる。そうした本来の食を通じて、人は、シンプルだけど深淵な人生の喜びを感じることができる。

シンプルだけれど季節の旬で、滋味に富み、命をしっかり感じられる料理を、大事な人たちとの時間を共有しながら食べることで、一人一人が、ファストフード文化の速回転する歯車から外れて、自然の営みに感謝し大地とつながる暮らしができるようになる。そして、それはファストフード産業、ファストフードライフスタイル自体も変容させる力を持つ。この本は、そんな希望を与えてくれる。

河口眞理子
一橋大学大学院修士課程修了(環境経済)後大和証券入社。外国株式調査、日本株式調査を経て1994年より大和総研転籍。2010年大和証券グループ本社CSR室長を経て、2011年7月大和総研に帰任、2018年12月~2020年3月まで大和総研研究主幹。企業の立場(CSR)、投資家の立場(ESG投資)、生活者の立場(エシカル消費)の分野サステナビリティ全般に関し20年以上調査研究、提言活動に従事。現職ではサステナビリィの教育と、エシカル消費、食品会社のエシカル経営に携わる。


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