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海士町の高校生が読む、『スローフード宣言』

アリス・ウォータース著『スローフード宣言』が発売されて、約1年。
昨年は海士町でも図書館や飲食店に書籍が置かれ、アリス来日時には約40人もの島民の方々が彼女のトークイベントに参加してくれました。

そんな中、今回島前高校1年生の安澤ももさん、蜷川ゆうさんのふたりが『スローフード宣言』のレビューを書いてくれたのでご紹介します。

海士町で暮らす高校生の観点から、書籍を読み、感じ、考え、向き合った、素直な感情とこれからの在りたい姿が多分に描かれています。ぜひお読みください。



アリス・ウォータースという人

この本の著者であるアリス・ウォータースさんはアメリカの料理人だ。
1971年にカリフォルニア州バークレーでレストラン「シェ・パニース」を開業した。
「シェ・パニース」では農家から直接、作物を買い、料理を提供している。店は客の口コミのみで多くの人に知られていった。現代の店の殆どは卸売業者から作物を買い、広告を打って店を広めるだろう。そういう点で「シェ・パニース」はこれまでとは違う新しい店だった。

「ファストフードにとらわれる前に子どもたちが、「スローフード」の考え方に出会うことができたら、それは食の問題についての根本的な解決へつながるのではないか」
このような考えのもとに、アリスさんはエディブル・スクールヤード(子どもが手を動かして五感で学ぶための食育菜園)を公立学校に導入した。
そんなアリスさんが今まで向き合い続けてきた食についての集大成がこの本である。

『スローフード宣言ーー食べることは生きること』

人間を喜ばせも、蝕みもする、食。そして、生き物にとって一番身近な「食べる」という行為。しかし、私たちは自身を形作る食材がどこで、誰に、どうやって作られ、どんな人の手を通じて食卓までやってきたのか、それを知らずに食べることが多くなった。この本は、変わり果てた私たちの食と、それがいかに私たちの価値観を変えていったのかを教えてくれる。

ファストフード文化

「ファストフード的価値観」は、この本に出てくる大切な言葉の1つだと思う。
ファストフード店は、早さや量や安さを重要視している。
このようなファストフード的な方法で食事をしていると、ただ健康を害するだけでなく、知らず知らずのうちに私たちの内面にまでもファストフード文化が染みついていくというのだ。

それは、私たちの考え方、ものの見方さえも変えていく。
「できるだけ多く、できるだけ早く、おトクに安く。不揃いではいけない」という価値観。
私たち現代人にとっては既に当たり前の考え方になっているのかも知れない。
特に、便利であることは、私たちに染み付いた価値観であると思う。
便利さは私たちの暮らしをより簡単なものにした。想像できないほど楽になった。
しかしそれは、中毒のようになり、今まで当たり前のように行えていたことでさえ面倒なものになった。

スローフード文化

読めば読むほど自分の毎日にファストフード文化がどれだけ深く入り込んでいるかが明らかになっていく。しかし、私たちが知識を得て、違和感を抱くことでこの社会は変化していくだろう。
そのための考え方が「スローフード文化」である。
私たちはいつの間にか、より安く、手軽に、楽に美味しい食事ができるか、という価値観に染まっている。そして料理がただの億劫なものになり、美味しいと思っている食べ物が、本当に美味しいのか確かめる術もなくなっている。
例えば、自ら土を耕し、種をまいて育てた野菜と、健康的な鶏を使って自分で調理し、家族と「おいしいね」と喋りながら料理を楽しむ。それだけで、時間をかけて美味しいものをつくることが億劫なものではなく、料理が家族をつなげ、喜びをもたらすものだと気づかせてくれる。

生活の中にある食とは、私たちにとって一番身近で生きるために必要なものである。スローフード文化は決して新しいものではなく、実はものすごくシンプルなのだ。

食べることは、生きること。これは、私たちの人生を導く哲学である。

※ここからは、安澤さん、蜷川さんそれぞれの想いが溢れる感想となります※

安澤ももの感想

この本を読んで、私も鶏を育てて、殺して、食べるということをしてみよう、野菜を育ててみようと決心した。自分でいのちを育てるということ、そしてそれを奪って自分のいのちの一部にするということ。これを自分で体験し、自分は何を感じ、何を考えるのか知りたいと思った。
 
この島は、野菜や米を自分たちで育てて生活していたり、鶏を飼っていたり、牛を飼っていたり、学校に羊がいたり、普通よりも生き物や何かを育てることが身近だ。
それでもCMを見て、冷凍食品やインスタントラーメンを食べて、安いからと通販でものを買って、いつの間にかファストフード文化の中にいる、その一部になっている。

私はいつの間にか与えられた食べ物をそのまま、何も考えずにただ食べていた。どんなルートで私のもとに届くのか。なにでできているのか。安くて速くて便利という環境の犠牲となるものの存在。
知らないということは恐ろしい。
自分の中の判断基準がいつの間にか、自分でない価値観で構築されていることに気づくこともなく、溢れ返る情報を周囲の考えでしか判断できなくなる。他人から得た情報だから、知らないからと責任転嫁ができてしまう。

でも、毎日食べているもののバックグラウンド、環境による犠牲を知ったからといって私にできることはあるのだろうかとも考えた。私が肉を食べないという選択をしたら、自分の中で自分に満足することはできるけれど、根本的な部分は何も変わらないだろう。私は学生でお金が十分にあるわけではないから、高くて良い食品を買い続けることなんてできない。寮で出されるご飯を食べずに、全部自分で買って調理して食べることは経済的にもできそうにない。
きっとこんな風に、知っているけれど、何か行動に移すことに言い訳をつくって知らないふりをしている人もたくさんいるのかもしれない。
結局、今の私にできることは限られているけれど、こういう話を友達や親として食について考え続け、ちゃんと寮で野菜を育て、鶏を飼おうと思う。そして、将来は自分で野菜を育てて米をつくって、自分で自分の食を造っていく生活をしたいと思った。

世界は食に関することだけでなく、たくさんの課題をもった現実を抱えているだろう。
そのひとつひとつを知り、自分なりに向き合い続けたい。
この島で見つけた、好きな言葉「意志ある未来」のために。

蜷川ゆうの感想

ファストフードを食べることで、その価値観が自分の内側にまでいつの間にか植え付けられていることに衝撃を受けたし、気持ち悪さを感じた。
今まで、家でもファストフードを食べる機会が少なかったので、影響されていないつもりでいた。でも、望めばすべてがすぐに手に入る環境にいること自体から影響を受けているのだろう。物で溢れかえり、望むものは目の前にある環境。大量生産大量消費の世の中っておかしいって思っていたのに当然のように慣れていっていた。
自分が口にするものなのに、なんとなく食べていた。

もう1つ、とても共感し、憤りを感じたのは、安さの重要視。
私たちは安いものを求めるあまり、適正な価格がいくらなのかも分からなくなっている。
極端なその安さには必ず代償があって、それは安全や、生産者の収入、労働者の賃金、動物の飼育環境だったりする。どうやって作られたかがわからないから、価格に疑問を感じないし、もっと安くもっと安くと求めてしまう。

島には、ファミリーマートもサイゼリアもミスタードーナツもかっぱ寿司もない。
それによって、島の個人商店が、便利な大企業のチェーン店に淘汰されることなく、地域内で経済が循環するという良い点がある。しかし、島から出たときにはチェーン店のお寿司を食べに行くし、お土産はやっぱりミスタードーナツ。そこまでファストフードが私に染みついているんだと感じた瞬間だった。

食に限らず、自らの頭で考え、選択することの必要性をひしひしと感じた。
ありきたりでよく聞く言葉だけど、考えることをやめれば、大多数の意見や大企業、政府などの圧倒的な力を信じるだけとなり、自分を見失ってしまうように思う。
情報を求め、想像し、常に「?」を大切にすることを忘れたくない。

あとがき

こんにちは。安澤ももです。なんだか、最後かっこよく終わりたくてかっこつけたんだけど、そのままだとちょっと自分らしくないなと思ったのであとがきを書くことにしました。

今回、このレビューを書くにあたってたくさん、自分の感情、考え、『スローフード宣言』自体と向き合いました。単純に知れて良かったことがたくさんあって、久しぶりにこんな文章をちゃんと書いて、とても楽しかったです。難しいけど。
自分の思ったことを表現できているという感覚が心地良いものだということに改めて気づきました。

本というのは、それを読むだけで、その人が人生の中で学んだことを、受け取ることができて、会って直接話したこともないけどその人の人生の一部を知ることができて、なんとも不思議で面白いものだなあと。

最後まで読んでくれてありがとうございました。

p,s, いま、鶏を飼おうとして色々やってます。ぜったい実現させたい!!!

土を表現


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