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モラトリアムの終わりに寄せて

大学院修了という節目に、何も書かずに終われようはずもない。

というモチベーションでnoteの編集画面を開いたのだが、実のところ、あまり書くことが浮かんでこない。僕の大学生活は大きく3つのパートに分かれている。最初から振り返りながら、徐々に絞りだして行くことにしよう。

大学1、2年 かるた漬けの日々

最初は大学1、2年。競技かるたに明け暮れた日々。頭と身体をフルに使う競技に、僕はすぐにハマった。大会には老若男女のクラス分けはなく、同じトーナメントで戦う。僕が初めて出た大会、初戦の相手は小学生の女の子。20枚で負けた。

競技かるたの試合は互いに25枚ずつの札を持って始まり、札を1枚取るごとに自分の札が1枚減っていく。先に持ち札を0枚にした方が勝ちだ。まぁ要するに、ボロ負けだったということだ。

週に3〜6日練習し、週末は大会に参加。地方で開かれる大会に参加するため、夜行バスにもずいぶん慣れた。今思うと、夜行バス明けで参加した大会の成績はどれもひどいもので、あんな劣悪な睡眠環境でパフォーマンスが出るわけもないのだけれど。先輩や同期、後輩と一緒に大会に出る、それ自体が良い時間だったのだろうと思う。

僕はかるたで出会った同期が大好きだ。先日行った卒業旅行の写真を見返すたび、過ごした6年間を思い出さずにはいられない。本当にありがとう。やっぱり僕の同期は最高です。

ちなみに妻と出会う機会をくれたのもかるた。大会で当たった妻は当時高校生で、軽やかに綺麗に札を取る姿が印象的だったのを覚えている。結果は思い出したくもない。この話になると妻がいじってくるのも少し腹立たしい。

大学3、4年 化学漬けの日々

時間割が化学の授業で埋まった。

意識がチョモランマのごとく高かった僕は、すべての授業を前から3列以内で受けるグループを結成し、ゴリゴリに勉強していた。成績も結構良かったんじゃないかと思う(学部長賞という成績トップに与えられる賞まであと一歩だったと聞いている)。

4年になって研究室に配属され、楽しく研究をしていた。テーマが深層学習関連になったにも関わらず、研究室にやっている人が誰もいなかったので自習する習慣もできた。Twitterなどで積極的に機械学習の情報を拾い始めたのもこの頃だ。

修士1、2年 色々なことに触れた日々

修士に進み、たくさんの授業と就職活動に追われ始めた。僕の所属する専攻では修論の単位が付かず、他の専攻が取っている授業の1.5倍程度の授業を取らなければいけなかった。

尊敬していた先輩がコンサルに進んだこともあり、なんとなくコンサルを受け始めた。そのときの体験談は以下のnoteでも書いたし、今後も少しずつ書いていきたいと思う。

コンサルでいくつか内定を頂いたあと、ふと考えた。僕は本当にコンサルに行きたいんだろうか?

この時点での僕の答えはNOだった。ビットコインの自動取引も触ったことでプログラミングをしてお金を稼げるんだという実感が湧きはじめていた。また、Kaggleを本格的に始め、幸いメダルを何枚か取れたこともあって、自分で手を動かすということに興味が向いていたのだと思う。

データサイエンスに力を入れている企業として、SansanとDeNAを受け、DeNAに決めた。結婚を見据えて少しでも年収を上げておきたいという意図もあったし、副業OK、業務時間の一部をKaggleに使っていい、など好条件ばかりだった。

研究の話をしておくと、大学4年のときに持っていたほどの熱量はなかったかもしれない。テーマ自体は面白いものだったが、授業や就職活動で時間を取るのが難しかった。4年生のときのテーマに関連して企業から解析依頼が来たことも、没頭できる時間を減らすのに拍車をかけた。

大学生活を振り返って

6年間を振り返ってみると、僕は本当にその時楽しいことをやっているだけだということがよくわかった。「あの時これをやっておけば」とか「こっちの道に進んでいれば」とか、振り返ってみれば思いつくことはたくさんある。

でも、モラトリアムは終わりだ。いったん区切りを付けねばなるまい。

いま確かに言えることは、自分は楽しく生きていたいということ。尊敬する人に囲まれていたいと思っていること。素敵な妻と一緒にいたいということ。そして、文章を書くのが好きだということ。

これくらいだ。

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