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「そんな深刻そうな顔しなくても」とよく言われていた話

「髪を切りたいんだけど、短いのと長いのどっちがいいかな?」「明日、友達とご飯食べてくるわ」

たとえばこんなちっぽけな話題である。

私はこの手の話題を切り出すと、決まって母に、「それだけ?そんな深刻な顔しなくてもいいのに〜!」と言われてきた。ちなみに、私自身が深刻な顔をしているつもりは1mmもない。ない故にか、言われると割とイラッとした。それに、ほんの少しだけモヤッとした。原因はよく分からなかった。

振り返ってみると、思春期を迎えたあたりからよく言われるようになっていた。5つ上の姉もよく言われていたように思う。確かに、姉の話の切り出し方をみていると、私も母のように(そんな深刻な顔しなくても...)と思うことがあった。たとえば「歯医者に行くからお金が欲しい」という、単なるそれだけの話題を、すごく暗い声色で真顔で話し出すのだ。もっとラフにいけよ、と思った。きっと母も私にそう思ったことだろう。姉は私と同じように、母にこの"お決まりの台詞"を言われるとどこかムッとした表情をしていた。

この「そんなに深刻な顔せんでも」案件は、生きていく上で何ら差し障りないこともあって、長らく放置され続けていた。そもそも私は、母親以外にそんなこと言われたことがなかったのだ。だからまぁ、なんとなくコミニュケーションの問題なのであろうとぼんやり捉えて、日頃は忘れて生活をしていた。

そんな中、保育系の大学に進学して、授業で母子関係についての心理学を学ぶ機会があった。ざっくり書くと、母親の幼少期の子どもへの対応は、現在の子どもの考え方や行動に大きく影響を及ぼすということだった。そこでふと、私は気がついた。

ーーこの母親曰く「深刻な顔」は、"この人に受け止めてもらえるかどうか不安でたまらない顔"だったのではないか、ということである。

心のどこかに、"こんな小さな話題をお母さんが聞いてくれるだろうか"という思いがあったのではないか。だから真剣な顔をして、「深刻」だと茶化されたら腹が立ったのではないだろうか。

母親が幼かった私にどんな対応をしてきたかは分からないし、この歳になると覚えてもいない。しかし、昔から楽観的な母親であるから、おそらくは子どもの悩みや相談を軽ーく流したりしていたのではないかと推測できる。(濡れ衣だったらごめん)

まぁ兎にも角にも、私たち姉妹には、"誰かに無条件に受け止めてもらう"という経験が足りていなかった、単なるそれだけの話だったのである。

ちなみに、私と同じように些細なことを深刻そうに話す大学の友人がいる。

その友人は少し厳しい母親の下に育っていて、やっぱり"無条件に受け止めてもらう"という経験が足りていないように見えた。他人に「なんでも聞くからそんな顔しなくていいよ」とは流石に言えないが、いつか伝わればいいな、となんとなく祈りながら、日々を過ごしている。

最後になりますが、私と、姉と、友人。そして全国にいる「深刻そうな顔」をしがちな方々へ、この文章を捧げます。貴方たちが今後の人生でほんのちょっとでも、楽な表情で大切な誰かと関わり合えますように。私はずっと、こころのなかで願っています。お互い、もっとラフに生きていきましょうね。