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実家の階段

この階段を何度雑巾がけしただろう? 

東京の実家を取り壊すことになり、引っ越しの手伝いに来ている。
実家の階段を雑巾で拭いていたら、身体が覚えていた。その動きを、この角度からの眺めを。
子どもの時、何度も何度もこの階段を雑巾がけした。


この家は私が小学校に上がる年に建てられたので、築45年。まだまだ現役でいけたのだが、リフォームを検討し始めたら、新たに建て替えたほうが良いという結論になり、半年後にはここの敷地に新たな家が建つ。
 

子どもの時はよく掃除の手伝いをした。
玄関を掃いて、その後ホースの水で流して。
新聞紙を水で濡らして、窓拭きをして。
お風呂掃除も、板の間の雑巾がけも、よく働いた。
私が子どもの頃、この家はキラキラしていたし、綺麗だった。
 

私は21歳の時、結婚を機にこの家を出た。
まだ半分、反抗期のような幼さで、家を出たくて結婚したようなものだ。
「お父さん、お母さん、長い間お世話になりました。」の挨拶もできないまま、いつものように「じゃあ、行くね。」と家を出た。
もう2度とこの家には戻ってこないんだ。
父と母、弟と妹とのこの家での日常は、もう2度やってこないと思うと、堰を切ったように涙が溢れ、嗚咽が漏れ、涙でぐしゃぐしゃになりながら、駅まで歩いたのを覚えている。 


大学を機に10年近く京都に住んでいた妹が、また実家に戻ってきてからは、私以外の四人の家族たちは、今もそのまま実家暮らしだ。
いつ帰省しても、昔のままの彼らの日常がこの家にはある。
 

80代と40代のかなりな歳の大人四人を家は収容し、皆片付けが苦手だ。
母と弟に至っては軽く障害だ。
過去が多すぎると機能しなくなる。
いつからかこの家は機能しなくなっていた。
たまに帰省しても三日もいれば軸はブレて、身体が浮腫みだす。
どうにもエネルギーが悪過ぎる。
掃除とかではどうにもならない。
捨てなきゃいけない物(死んだ物)が多すぎる。
 

二年前だったか?
私は母の書斎を作った。
家族の団らんの場であるリビングを占領するかのように母のパソコンと書籍が散乱していたのを、機能していなかった納戸を片付け、壁に漆喰を塗り、可愛いらしい書斎を作った。
障害者教育の研究者である母が80にして初めて、持った書斎だ。


「あの書斎がなかったら、今頃パンクしていたわよ。本当に助かったわよ。」と母が言う。
〝ハイハイ、あなたがパンクするだけでなく、他の家族もみんな道連れになるところだった。〟
 

皆を巻き込む系の母が書斎で大人しく仕事に集中することができるようになり、リビングを占領していた母の物たちが無くなったスペースに大きなソファを購入し置いてみた。


あの二年前からこの家は確実に変わり始めた。
もう一度息をしだし、エネルギーが回り始めた。
家で快適に暮らすということを少しづつ体感できるようになった彼らは、今回 家の建て替えの決断までしたわけだ。
 

築45年の実家は、まだまだ生き返ることはできただろうが、建て替えくらいのことをしなくては彼らの断捨離はできなかったと思うから、これくらい思い切った決断でよかった。


家はこれから最後の最後の大仕事に入っていく。
私たちの過去とカルマ?を引き連れ解体されていく。
 

そしてまた新たな風が吹く。

 
今現在、家の中は引っ越し作業でぐちゃぐちゃだけど、一時期のエネルギーがとどまっていた時の家よりは、はるかに爽やかなエネルギーが回っていて気分が良い。
良かった、大丈夫。

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