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両親が同時入院したままの2023年10月の記録

前回の続きです。
うっかり11月に入ってしまった…
振り返りも含め記録しておきます。振り返りすぎてよくわからなくなってきたぞ!

9月後半に突如帰省、10月半ばにいったん東京に帰ることにしたので、10月上旬に母が退院できる見込みになった(医学的には問題なし)。
10月初旬深夜にいきなり電話が鳴る。
父がいきなり病状悪化し別の病院に救急搬送される事態になる、などの連絡を受ける。

母は入院先でメンタル悪化しまくり、
わたしはとりあえずタクシーを呼んで父の入院先へ。
搬送先の病院は1-2時間かかるところにあるそうで、看護師さんに相談したところわたしは救急車に同乗させてもらえることに。(ありがてえ!)
25時半に移動を開始して転院先に着いたのは深夜2時半すぎ。。
お疲れさまです。
その間担当医の先生は酸素量をコントロールする袋を持ち続け、
看護師さんは血圧測ったり色々。

その間も「昼間だったらヘリで行けたんですけど」などと労われる。
父の顔や体はびっくりするような砂色だけど、
そもそも顔色悪いので驚き少なめ。

その後は入院手続きと、合間に医師(サバサバした若め男性)から経過や治療方針と、
諸々の同意書を書き続け…
5時くらいに持っていたチョコチップクッキー(馬場FLAT)をぼりぼり食べ始めて、9時過ぎに解散!
タクシーで16,000円の距離を帰宅しました。

母からはとにかく寝て!と連絡が来て寝ようとしてみても寝られない苦笑
ウトウト、うろうろしつつ、昼過ぎにシャワーして東京から持ってきたスコーンを食べて、
午後は母の入院先で退院に向けた話を聞いて、
もうそろそろ記憶があやふやに。

その後母が再入院したり、
父が再度転院したり、
母が本当に退院したり、
色々申請したり、
父が仕掛かっていた不動産周りの事柄を進めるべく関係者と会話を始めたり、
で今に至ります。

父はこの後も急変が何度かあったり、人工呼吸器つけたり外したりがありつつ、
現状は小康状態になりました。
とはいえ、
見る人が見れば植物人間とか意識不明とかの時期を経て、
スーパー要介護状態になっているので、今後どこまでどうなるのかは誰にもわからない。
母は鬱や筋力低下を抱えつつも危機を脱しつつあり、
家事ならちょろちょろやりたいことができているみたいです。
※いきなりはしょってすみません

その間仕事はというと、完全無給の休職制度で休職中。(めちゃくちゃ調べた)
仕事のPCと携帯を返却して、東京には自分の通院と荷物入れ替えのために帰る日々。(ongoing)

周りの人には、そこまでする娘いないよとか言われるけど、
私の最優先事項は「家族」であり、
親孝行できる自分でいたくて仕事していた側面が大きいです。
今回はこのままだと家族が崩壊するなと思って
急遽対応しただけにすぎない
(想定外の方向に崩壊したが)し、仕事からは逃げたことになります。
また、父のいとこという微妙な親戚や夫がすごくサポートしてくれていて、
精神面も移動面(田舎だから)も非常に助けられているので、
私だけではしんどかっただろうなぁ。

これから考えないといけないことは色々あって、
・今のような2拠点生活は現実的?
・現場の会社の状況で、リモートで復帰できる?
・仕事をやめるとしたらどうやって食っていく?
・そもそも自分の持病と薬と難病指定もあるから引っ越すのめんどくさい…
・住むには実家は不便すぎるのでもはや平屋建てたい
・夫どうしよ
などなど…

最大3ヶ月の休職期間ですが、すでに1ヶ月ほど経過しているので、
残り2ヶ月で方針決めたり
実家サポートしたり
母の社会復帰(1人で最寄りスーパーにお買い物に行けるようになる)まで見届けたりしないといけないし、
東京との行き来も計画せねば。

その間も社保とか税金はかかるわけで…
※高給取りの人は気をつけてね!

これから自分の人生がどう転ぶのか、楽しみです。

田舎だけど食に恵まれているのがありがたいのでした

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