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優柔不断の背中を押す太陽 ~新潮文庫プレミアムカバーと無色透名祭~

前置き

個人的でささやかかつ、自分にとっては重大な悩みがある。

新しいものに触れるのが苦手なのだ。

「また今度」「もっと元気なときに」「時間が無いから」
「なんか難しそうだし」「気分じゃない」
何かと理由をつけて、あの名作も気になる新作も後回しにしてしまう。

日々新作を漁る側の人間にはもしかすると理解できないかもしれないが、自分は知らない作品を手に取るのが難しい。
タイトル、表紙、帯等で気になっていても、たった一歩が踏み出せない。

「後で見る」に数年間入ったままの、サムネイルだけ知っている曲もある。
さっさと見ればすっきりするのに、たった一度のクリックが重い。

自分がこれを打破するには、きっかけが必要だ。
誰かが好きと言っていたとか、紹介記事を読んだとか。
それは場合によって様々だが、今回は「特別感」と「安心感」について取り上げたいと思う。

特別感

「期間限定」という言葉には、妙に惹かれてしまう。
飲食店で迷ったら、今しか食べられないものにしておくのはよくあることだ。
「これを逃したら次はないかもしれない」という思いが、後回しを防ぐのだ。

安心感

「定番」ほど迷わず選べるものはない。
以前頼んだメニューは、深く考えず注文できる。
CMで見たとか、聞いたことがある企業の商品だといった理由で買うものを決めた経験は誰しもあるはずだ。

本題

では、その2つを兼ね備えた存在はさらに選びやすいはずだ。
自分にとって、それは「新潮文庫プレミアムカバー」であり、「無色透名祭」であった。

新潮文庫プレミアムカバー

まず、「新潮文庫プレミアムカバー」についてだ。
毎年夏に開催される「新潮文庫の100冊」の一企画と表現すればいいのだろうか。
選ばれた名著数冊に、特別なカバーがかけられて店頭に並ぶものだ。

<参考リンク>

画像から分かる通り、表紙がシンプルな装丁で統一されており、まさしく「プレミアム」な仕上がりとなっている。

これには限定品であるという「特別感」と、選ばれた本である上に視覚情報が程よく馴染みやすいという「安心感」の両方が備わっていると思う。

特別感はいいとして、安心感の方には説明が必要だろう。
自分はどうも表紙の情報が多いと勇気が出ない。激しい広告を忌避する感性の延長線上にあると思うが、派手な帯や感動的なフォントはくどく感じてしまう場合があるのだ。
その点、プレミアムカバーの情報は少ない。
一色の表紙に、洒落た箔押しのタイトルと著者名。帯にはこれがフェアの限定品であることだけが記されている。
一見宣伝効果が無いように思えるが、自分のような人間にはこれくらいの方が安心して手に取れるのだ。
今年は星新一の『妖精配給会社』を購入した。
名作を読むきっかけは、このような機会でも手に入れることができる。

無色透名祭

次に、「無色透名祭」についてだ。
これは先日行われたボカロ曲投稿イベントである。
特徴として「全員が匿名で投稿し、かつビジュアル面(動画等)は制約を設ける」というものがある。
これによって楽曲そのもの以外の情報(投稿者の知名度、サムネイルのイラスト等)による先入観を排した音楽鑑賞が出来るという取り組みであった。
期間が終われば一部の楽曲は作者が公開されるので、作者当てのために多くの曲を聞いたという人も見受けられた。

<参考リンク>

下のリンクが分かりやすいが、サムネイルの情報が非常に少ない。
「ジャケ買い」のような動機が減り、一見再生数が伸びないように思えるかもしれないが、ここにも二つの観点を適応できる。

期間を過ぎたら投稿者が公開されてしまうという「特別感」と、選ぶ行為の責任が薄いという「安心感」である。

前者はこちらも簡単だ。イベントは数日で終わり、どの曲を誰が作ったかというネタバレが解禁される。そのため、匿名であるうちになるべく曲を聞いておきたいという心理をもたらすのだ。

後者は少し難しい。このイベントだと、情報はタイトルと使ったボーカルに限られる。これはブラインド商品のような「不明であること」に対する不安を煽りそうだが、自分にとってはむしろ「ガチャ」でしかない以上かなり聞きやすかった。そのクリックに強い選択の意思はないため、何が来ようと自分の決断の責任は薄いためだ。

まとめ

つまり、「新潮文庫プレミアムカバー」と「無色透名祭」に共通するのは、「選ぶこと」に対する心理的抵抗を大幅に減らし、自分のような優柔不断な人間の背中を押したという点だ。
自分にとって熱い宣伝は北風であり、シンプルな装丁やサムネイルが太陽であったということだ。

「新しいものに触れるのが苦手」という悩みを解決し、素晴らしい作品を教えてくれた太陽たち。
彼らに共通点を見つけ、救われたような気持ちになってこの記事を書いた。
似たような悩みを持つ人がいたら、こういったシンプルさを求めてみてはいかがだろうか。
そもそも自分のような人間は、知らない人間の記事などめったに読まないが。

追記

この記事を書いた後(公開前)、Kiite Cafeという勝手に人のオススメ曲が流れてくるサイトに赴いたところ、案外知らない曲に拒否感無く触れることができた。
おそらくリアルタイム選曲という「特別感」に加え、無色透名祭の箇所で触れたように自分から選択することに忌避感が大きいのだと思う。
また何か思いついたら、続きの記事を書きたい。

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