「あ、ゴールを過ぎていた!?」
こんにちは。
このブログにお越しいただきありがとうございます。
先日、矢沢永吉さんのインタビュー番組を見ていました。彼はアーティストでありビジネスマンという顔を併せ持つんですね。
だから、今まで人がやらないようなことを周囲の反対を押し切ってもやってきたという。でもやはり恐怖感や「自分はまだまだダメだ」という思いもあったそうです。
それをこんな風に表現していました。
「目をつぶっているんだ。そうやって走り抜けて、周りの人が、もう目を開けてもいいんじゃないか、というけれど、俺はまだまだだと思って、硬く目をつぶって走り抜ける。でもそろそろ大丈夫じゃないか?と思った頃に目を開けたら、ゴールは振り向いてかなり遠くに見えた」
(私が受けた感覚で言葉にしました)
やっぱりやっている時は必死だし、新しいことをするというのはそれだけ、思わぬ出来事が起こったりするものだと思います。それに対応しながら、とにかく自分が思った道を突き進んだんだと思います。
その道中は心中穏やかではなかったという意味が固く目をつぶったまま走り抜ける、ということなんだと思います。
なぜこんなことを書くかというと、実は私も一つゴールテープを切ったような気がするから。
先日、認知症の義母が精神科に入院することになり、大雨の中、義姉さんと夫と一緒に車に乗った義母を見送りました。それで私がこの家ですべきだった嫁姑のレッスンが終わった、、、ということを感じています。
義母は姑のレッスンを終え、おそらく自分と向き合う時期に来たんだと思います。コロナの折であることと精神科入院というのはセンシティブなこともあるらしく面会は家族でも一切お断りということでした。
3か月後にドクターとその後のことを相談するそうです。ちなみに義母の場合は11ヶ月まで入院できるそうですが。
義母は若い頃、義父の実家に2年程暮らしたそうです。そのころ嫁のレッスンをしたのだと思います。それから私と約20年姑のレッスンを終えたんだな、と理解しています。「お疲れさまでした」私は自宅から、義母にそれを伝えればいいのではないかと思っています。
また、私自身はこの20年で義母と嫁のレッスンが終わったんだと思います。だから、今度は自分自身のこと、自分ができることを増やし、学び、成長する事に時間をとっていいということになりそうです。
そうやって一つ目標にしていた嫁姑問題というものが、私の中で一つ結果を残して終わったというのが実感として出てきたときに、矢沢永吉さんの言葉を思い出しました。
私も無我夢中でこの家で、腹を立てたり、泣いたり、落ち込んだり、絶望したりしてきたことで、自分が到達したかったところに行きついて、ゴールテープが自分の後ろにみえる、気づいたら知らないうちにゴールテープを切って未だ走り続けていたという感覚がとても近く感じました。
義母の考えに共感し、受け入れて、拒絶もしたけれど、今は恨みがない状態になっていることと、義母に勇気をもって「自分の人生から逃げないで責任を持つこと」を伝えられたことで私がすべきことは一旦終わったのだと思います。
一介の主婦がやることなんて当たり前のことかもしれませんが、誰でも通る道だったとしてもそこで何を学んだかは当人にとって大きいことを実感しています。矢沢永吉さんのビジネス、影響力とは雲泥の差であっても、なんだか共感できるところがほんのちょっとあるように感じて嬉しくなっています。
今は「自分が望めば何でもできる!」という気持ちがあるのですが、まだ望んだことは道半ばです。英語も、ピアノもですが、すごく楽しいです。これからはワクワクする事という心の判断基準に従って選択していこうと思っています!
あと、編集者としてもひそかに技術を磨こうと思っています。これは電子書籍の出版に関わるところで、自分でも思っても見なかった道ができつつあります。
興味を持って自分が楽しい!ワクワク!と思うところをやってみると、道が開けるということも実感してます♥
もっと自分の価値をあげて、出来ることを増やすことで、困っている人に手を差し伸べることができるな~♪と思うとワクワクしてきます。
2021年、まだ約半分あります!まだまだこれからワクワクな気持ちを大事にして進んでいきましょう~♪
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