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渡部昇一流『四書五経』の解釈 228

😈  至誠の力 (『中庸』二十四章)

🌏    至誠は神の如し

至誠は神のような力を持つ、と言っている。
この場合の神は、「神様のように力が出る」という意味である。

東郷平八郎元帥は、何か文字を書いてくれるよう求められたときに、
この「至誠」という言葉を書いた。
日本海海戦で大勝利を収めた人が書くと、
神の如き力が出るという意味とあわせてなんとも言えない迫力がある。


【2024年4月11日(木曜日)晴れのち曇り6℃〜21℃】


躍動感


人間に限らず生き物は身体が資本です。
その資本を活かして生き物はさまざまなところで生きています。
今までだったらこういうことには無頓着でしたが、
今日はなぜかそれが当たり前でないような気がしたんです。
振り返れば実に長い歴史があります。
その歴史を語ろうとは思いませんが、
牛や馬たちが家畜となるまでにはさまざまなことがあったろうと想像します。
牛や馬たちは人間に会えて幸せだったろうか?
ふとそんな思いも浮かんできます。
私にとってもこの身体は大切な資本です。
だから、身体には投資をします。
今、世の中は資本主義です。
だから、いい資本を持っている人はそれを活かせる場所があり、
うまく成功を収めれば地位や名誉がいただけます。
が、それに挑戦して失敗する人もあります。
むしろ失敗する人が多いでしょうね。
でも、その失敗に挫けず新たな境地を見つける人もあります。
人間は死ぬまでそうあるべきでしょうか?
否、あるべきではなく、そういう道もあるということでしょう。
道はその人自身が作っていくものですから、
道は人の数だけあるということでしょうね。
とは言え、人は人として生きるためには必須条件もあると思います。
が、この必須条件とは何でしょうね。
それが仏典や聖書に書かれているようなことでしょうか?
それとも人間は感情の生き物ですから、
この仏典や聖書ならびに四書五経のようには
努力しなければ生きられないのでしょう。
だから、仏典や聖書ならびに四書五経は存続しているのかもしれません。
これこそがまさに法律ですが、そう生きなくても
罰せられることはありません。
そこへいくと法律は罰せられます。
罰が有るのと無いのと、
この違いの意味は何でしょうね。
では、今日もつつがなくお過ごしくださいませ。
ありがとうございます😄

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