見出し画像

渡部昇一流『四書五経』の解釈


115、究極の幸福感

🌏朝に道を聞けば、夕べに死すとも可なり🌏

 (『論語』里仁第四)

朝と夕の間を非常に短い時間にとれば、
朝に立派な宗教の話を聞いて悟りを開いたら、
夕方に死んでもいいというふうにとれる。
それを長い時間にして考えるとすれば、
いい話を聞いたら、その内容を身につけて死にたい、
という読み方もあるだろう。

私にも幸せのあまり「死んでもいい」と思った経験が一回だけある。
私は英語学を研究していたわけだが、長年、
日本の英語学はどこか本物ではないように感じていた。
ところがドイツに行ったときに、カール・シュナイダーという英語学の大学者に長い間わからなかった疑問を尋ねる機会を得た。すると先生は、
必要な資料のリストをすべて出してくださった。
それで長年の疑問が氷塊したのである。その時のハッピーな感じと言えば、
歩きながら「本当に死んでもいいな」と思うほどの幸福感であった。

したがって、
この「朝に道を聞けば、夕べに死すとも可なり」という気持ちは、
私にもある程度わかる気がするのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?