見出し画像

ダルカレーは米と食べろ

2021年12月1日(水)

午前7時、全身を倦怠感が支配していた。寝室から一歩だって出たくなかった。ひとりなら本当にそうしたんだろうが、子どもの存在がわたしを共同体へと連れ出してくれる。ぐずぐずしながらも(わたしが)幼稚園へ子どもを送り届け、スタッフルームに必要書類を提出し終えた。そこでふと窓ガラスに映った自分の姿のぼろぼろさに直面して、なんかもう全部やだなあ、と思った。

数日前まですこぶる元気なつもりだったし実際に元気だったと思う。それがどうしていきなり何もかもいやにならなくてはいけないのか、その引き金になったものとして心当たりのある直近の出来事とかも一つとして思いつかない。

何をしていても「ぜんぶ無駄だ」という声がする。これはいつものことだが、その声がいっそうでかくて権威あるものになっている。

家に帰って化粧と髪をととのえるのをゆっくりやり直した。鏡のなかのわたしは人間に近づいていくのだが、それをたいして快適とも思わない。

午前で幼稚園の保育時間を終えた子どもを迎えに行ってそのままふたりで電車に乗った。友だち親子のいる街に行ってカレーを食べた。ダルカレー(小さな豆のカレー)は味噌汁みたいに落ち着く味がするから好きだ。しかしナンには合わないなと思った。ちぎったナンで子どものバターチキンカレーをちょいちょい盗んで食べた。

3さい同士になった子どもたちのやりとりはますます面白く、ひと月くらい会えていなかった友だちとのおしゃべりも、わたしの心に栄養をバシバシ注いだ。友だちがインドのワンピースを着てインドカレーを食べているさまを最高だなと思った。わたしが見せてほしいと頼んでいたワンピースだったからうれしかった。

友だちの街で子連れでできる遊びをし尽くして(公園、児童館、マクドナルドでハッピーセット)、暗くなってからそれぞれの家に帰った。わたしの子どもは眠さのせいか、駅から歩くのをいやがり、だっこを要求してきた。子どもをだっこして歩きたい気分だったからちょうどよかった。子どもはだいぶしがみつくのが上手になった。歩きやすかった。

人通りの少ないその道を、わたしたちを追い越して歩いていく女性がいて、彼女は乳児をひとり抱いて幼児をふたり連れていた。わたしは彼女の半分のスピードも出ていなかった。彼女たちの姿はすぐに見えなくなり、声も聞こえなくなって、わたしたちは暗い静かな道をのろのろと進んだ。

家に着くとすぐに眠ると言う子どもの歯をあわててみがいた。わたしたちの帰りを待っていた夫は彼をパジャマに着替えさせてやっていた。子どもはまもなく寝入った。

わたしも子どもに便乗して眠り、夜中に地震があるまで目覚めなかった。午前2時にめっちゃ揺れたとき、飛び起きたのは家でわたしだけのようだった。

せっかく起きたから明日のにぎりめしの米を研ぎ、顔にクリームを塗った。居間の電気を消すとき、明日も気分が上向くことはないでしょうと例の権威ある声が言っていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?