見出し画像

5年前日記⑥

子どもが5歳になった。
それで5年前の記憶がわたしのまわりをうろうろしている。
せっかくなので書きとめておこうと思う。


2018年2月6日(火)

4日前にわたしの切開されたお腹から取り出された赤ちゃんはよく寝る赤ちゃんのようだ。乳を飲み、助産師が心配するほどよく眠り、そして目覚めるたびにちょっと大きくなるみたいだった。頼もしい赤ちゃん。

ところで、わたしの乳首は蛇口と化した。
授乳がはじまってからというもの、助産師がかわるがわるやってきてはわたしの乳を揉んだりひねったりして「もう出てもよさそうなんだけどなあ」とか「詰まってるか?」とかつぶやいては更に強く乳を揉みしだいて去っていく。みなさん配管工だ。わたしは水道管。水道管に徹しきれていない人間としてのわたしはあまりの痛みに笑ってしまう。

赤ちゃんが母乳を飲む時がいちばんすごい。胸にこれほどの痛みを感じたことはない。何年か前、マンモグラフィーを受けてガラスの板で乳房をぺしゃんこに挟まれたときのことが懐かしく思い出される。いまからすればあれはいい思い出みたいなものだ。ガラスの板に挟まれるくらいのことはほんの遊び。赤ちゃんの吸啜に比べたら。
赤ちゃんは必死に吸いつく。だがいかんせん不慣れだ。腕でサポートするわたしも不慣れだ。激痛が走る。あまりの痛みに耐えるためなのか勝手に頭に映像が浮かびだす。過去に訪れたいろいろな駅の光景。ほとんど旅先の。脳がトリップしている。現実の痛みから逃避するためにこんな機能が備わっていたのかと感心する。しかし反対の乳も吸わせなくてはならない。また痛み。トリップ。

ところでこの産院には配管の神みたいな助産師がいてわたしが苦労しているところに度々助けにきてくれる。管が詰まっているところを見つけては的確にほぐして職人のさわやかな顔で「これで大丈夫」と言う。他の助産師とは乳に関する技術と知識の量で一線を画しているように見える。わたしは彼女を崇拝している。彼女のいるシフトの日は「助かった!」と思うまでに依存している。

お粥でない食事を出してもらえるようになった。どうかしているくらい美味しい。プレートを届けてもらえるたびにベッドのパラマウントの速度がもどかしく思えるくらい、ここのシェフの食事を待ち侘びている。腹の手術跡も後陣痛というやつも腫れ上がった胸も痛くて熱もあってウミウシ並にしか動けないくせに気持ちがけっこう元気だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?