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『飛島』ー覚えのないノートの端書きより



懐かしい、と感じていることに戸惑う。
忘れていたのか。

ー宮下奈都『羊と鋼の森』



R3. 4. 19.


飛島の港の近くに、小さな工場がある。

バイクを停めて、門扉の裏に取り付けてあるポストに日刊スポーツを投函する。バイクへの戻りしな、僕はタバコを咥えながら空を見上げた。

4月の早朝5時前。
日の出を控えた空には、霧が立ち込めたような曖昧な灰色、そのすぐ上を申し訳程度のオレンジが横たわっている。その手前、頭上の空はまだ薄っぺらな青が広がるばかりだ。

それらに溶け込んだ富士山は、ぼやけた輪郭だけを残して、はるか遠くで寂しげに佇んでいる。

静岡県民からすれば見慣れた富士山だが、
「今日も綺麗だな」と無意識に呟いていた。

バイクのサイドポケットに手を突っ込んだが、携帯灰皿が見当たらない。どうやら仕事中に落としたようだ。

タバコの火をコンクリートで揉み消して、僕は背の低い堤防へ歩いた。そこから見下ろした海は黒に近い藍色に染まっていて、ゆらりと視界を揺らす。

僕は迷いもなく吸い殻を海に投げ捨てた。


そう言えば、先週この場所で友人と釣りをした事を思い出す。ロクに釣れなくてイライラした僕は何本もタバコを吸っては吸い殻を投げ捨てた。数年前に禁煙した友人はひどく呆れていた。

投げ捨てた吸い殻を目で追うと、暗い海にぐにゃりと曲がった白色は、不思議と映えた。




なかなか沈んでくれないな、
と見下ろしている。

いつまでもそうしていたいな、
と思う。

切り忘れたバイクのエンジン音が
段々と遠のいていく。

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