第130回 宇治院の幽霊 の巻
10円玉のデザインで有名な京都宇治の平等院鳳凰堂。左大臣・源融の別荘跡に建てられました。(こちらに融オバケが出たという逸話はなく完全創作です。)
雰囲気をつかみたくて いざ、現場へ。
人でごったがえす観光地でしたが、ここで源融と宇多天皇を偲んでるの、私ぐらいだろうなあと思いながら…
当時ナンバーワンのスーパーリッチ源融(みなみとのとおる)。
死後は豪邸の維持に息子たちも持て余していたようで、邸宅・別荘は陽成院の手を経てから宇多天皇に譲られました。天皇ぐらいじゃないと維持できなかったのでしょうね。
しかし源融は貴族の中でも飛びぬけてリッチだったわけですが、なぜこんなにリッチだったのでしょう?
嵯峨天皇の皇子だったこともありますが、一番の理由はやはり荘園(=私有の田んぼ)の所有によるものでしょう。
あと、左右の大臣は、そのひとつ下の官位である大納言と比べて給与が急激に跳ね上がるのです。 どれくらいだったかというと
な、なんと…今でいう小規模「県」1個の税収分ぐらいが丸々が大臣の年収・・・という感じです。信じられない高給です。
当時は、手形はありましたが現物支給が中心ですから、給料日には自宅の庭に、米や布などを積んだ荷車が何十台もあふれかえっていた…?という絵を想像してゾワゾワしています 笑
京都で有名な「清凉寺」も源融の別荘跡です(!)。
源融の自宅・河原院周辺はのちに京都の繁華街・河原町に。別荘は平等院・清凉寺・渉成園として有名観光スポットに。自身は琴浦神社で神様に。
こうやって見ると源融は「歩くパワースポット」みたいな人物ですね 笑
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?