天漫ノーフク@学問の神チャン!天神マンガ

学問の神様・菅原道真のユル~いショート・マンガ(素人・画力なし・元美術成績2)◆ふだん…

天漫ノーフク@学問の神チャン!天神マンガ

学問の神様・菅原道真のユル~いショート・マンガ(素人・画力なし・元美術成績2)◆ふだんは大学受験&小中学生向け学習塾やってます(塾の宣伝なし)

最近の記事

エピローグ(最終回)

このマンガ、主人公のまりもちゃんが 「菅原道真って学問の神様なのになんで天神って呼ばれてしかも怨霊なの?」という疑問でスタートするという設定でした。 今回はその長い長いお話の最終話です。

    • 第200回 天神、学問の神になる の巻

      年月がたち菅原道真が怨霊だったことを実感する世代が少なくなると、いつのまにか「藤原氏を祟る怨霊」が「藤原氏を守護する神様」に変貌します(真逆やん!) 民衆の間では、道真が学問優秀で詩の名手だったことから「学問の神・詩歌の神」として崇拝されるようになります。 その後 天神は学問以外でも「書道の神」「連歌の神」などと変貌を続け、さらには「招福」「戦勝」「世継ぎ(男子)出産」「交通安全」… うっ、こじつけやん…と思えるほどオールマイティーな神として祈願されるようになります

      • 第199回 アーヤさん の巻

        天神伝説によると、多治比文子(たじひのあやこ)という巫女さんのもとに天神・道真が現れ「北野に祀ってくれ!」と宣託が下ります(唐突やな~)。 文子は貧しく神社をつくれなかったので、とりあえず自宅に祠をつくり天神を祀ります。 のち有力者の協力を得て北野に神社を創建、これが現在の北野天満宮です。 道真が亡くなってから40年も経ってから、菅原家と縁もゆかりもない多治比のところに突然宣託が下りたという点から推測すると、実際は多治比一族が「怨霊利権」を狙って天神宣託を持ち出し神社創

        • 第198回 天神伝説 の巻

          清涼殿落雷事件をきっかけにして、怨霊を鎮めるために道真は神として祀られることになります。 なかでも荒ぶる神天満大自在天神」略して「天神」と呼ばれるようになりますが、ルーツはインド・ヒンドゥー教のシヴァ神・仏教バージョンの大自在天です。 道真=天神の誕生で3種類の「天神」という言葉が存在することになりました。 つまり「天神地祇(ちぎ)」「雷神」「道真」の3つです。 写真は北野天満宮で祀られる3柱の天神  1枚目=道真天神 2枚目=天神地祇 3枚目=雷神 ■■■■■■■

          第197回 時平と怨霊 の巻 パート3

          時平の死から数年後、清涼殿で天皇や公卿が集まって会議中、落雷で数名が亡くなる大惨事が起こります(実話)。 この時に藤原清貫らが帝の目前で焼死、この事件のショックで醍醐帝は体調を崩して3カ月後に崩御。さらに数年以内に皇太子・皇太孫と3代続けて亡くなったことで朝廷は国をあげて怨霊対策に取り組むことになります。 下の写真は清涼殿跡。その昔、道真の怨霊といわれる落雷があったまさにその場所です。 現代はフツーの住宅地ですが 「この場所で1100年前に本当に道真の怨霊といわれるカミ

          第196回 時平と怨霊 の巻 パート2

          歴史物語『大鏡』時平と怨霊道真の名場面をネタに。 天神絵巻では、宮廷に現れた怨霊道真の雷神に逃げまどう人々に対し、ひとり果敢に刀で立ち向かう時平が描かれています。 時平の一言で道真は躊躇して退散したそうです(さすが時平、カッコいい~)

          第195回 時平と怨霊 の巻 パート1

          天神絵巻では、ヘビ(厳密には青龍)に化身した道真の怨霊が時平の耳からにょきっと出る印象的な場面があります。 調伏していたお坊さんもあわてて退散し時平はやられてしまう、そんな場面です。 (この絵巻を見て「耳からうどん!」ってアイディアが降ってきたのもどうかと思いましたが…) このとき時平の枕元ではアンチ道真の三善清行(みよしのきよゆき)と、その息子で僧侶の浄蔵(じょうぞう)が怨霊道真を調伏している最中でした。 「いや、こっちは帝釈天サンにちゃんと許可もらった上で復讐しに来

          第194回 源光(みなもとのひかる) の巻

          源光は宇多帝の叔父だったこともあり、宇多帝でも頭が上がらなかった人物だったようです。 過去に道真・時平の二人に対しボイコットをしかけた実績もあり、アンチ道真のリーダー的存在でした。 最終的に官位で時平・道真に抜かれてしまいますが完全に二人をなめていたようです。 私は個人的に道真追放の首謀は時平ではなく  ①藤原淑子(藤原摂関家のドン) ②源光 の二人が中心人物だったと推測しています。 (道真追放の目的は二人それぞれ違いましたが利害が一致しました) 一般的にこ

          第194回 源光(みなもとのひかる) の巻

          第193回 菅根(すがね) の巻

          藤原菅根(ふじわらのすがね)、菅家廊下(道真塾)出身で道真の愛弟子。 出世が遅れていたのを心配した道真が宇多帝に進言し、皇太子(醍醐帝)の家庭教師になります。 時平政権でも重用され、公卿(上級貴族)にまで出世しました。 道真追放の時には、助けに来た宇多法皇を宮廷内に入れなかったことから、後世の物語では「裏切り者キャラ」として有名になります。 史実の藤原菅根は53歳で亡くなっています。当時50代での死は早死にとはいえず、特に不自然さはありませんでした。 怨霊伝説

          第192回 カミナリちゃん の巻

          道真の怨霊といえば有名なのが絵巻物のこの場面。 このカミナリ様、怨霊になった道真とカン違いされることも多いのですが、道真の「3番目の子分」だそうです(1番目と2番目が気になる~!)。 本名が「火雷火気毒王(からいかきどくおう)」というすごい名前(カミナリちゃんの本名~!)。 ■■■ 北野天満宮にあるカミナリちゃん(?)の祠。 北野には天満宮が建てられる以前から雷神が祀られていました。 なぜこわ~いカミナリ様が祀られるのか? それは、カミナリが落ちるとその

          第191回 道真サン、怨霊になる の巻

          天神絵巻の道真が言うに 「復讐することを帝釈天に許可をもらって怨霊になった」 そうです。 なんと!さすが道真サン、怨霊になるのに許可をもらうなんて律儀すぎる。 おまけに16万8千?もの眷属(子分)までつけてもらったといいます。いたれりつくせりの怨霊ですね。 のちに時平のもとに現れた道真、怨霊を調伏しようとするお坊さんに対して 「ちゃんと許可もらって来てんだから念仏唱えたりするのやめてね」 と言い放ちます。 むむ…こんなところでも理詰め。。 言われたお坊さん、こり

          第191回 道真サン、怨霊になる の巻

          第5部 天神伝説 怨霊編スタート!

          マンガはいきなり衝撃の暴露(?)からのスタート! 道真は不条理な追放をされてもなお天皇からもらった衣を大宰府に持参していたことから、明治時代には「忠臣の象徴」として何度もお札のデザインにされました。 しかし実は・・・ 「こんなことになって、今まで国のためにがんばってきたん、後悔するわ~!!」 初めて読んだとき思わず二度見してしまった衝撃の一句 笑 道真のイメージを壊してしまいそうなので描くのやめとこうか迷ったのですが 「かまへんかまへん、オモロイから描け描

          第5部 天神伝説 怨霊編スタート!

          第190回 右大臣の牛車 の巻(第4部 最終回)

          道真の棺を運ぶ途中で牛が動かなくなった場所に道真は埋葬されました。それがのちの太宰府天満宮になったという伝説が最終回のネタです。 史実では弟子の味酒安行(うまさけのやすゆき)が奔走し、道真鎮魂のために安楽寺(のちの太宰府天満宮)を創建します。 しかしここで注目は… 創建者の名前に味酒安行と連名で時平の弟・藤原仲平(なかひら)の名前があるのです。 仲平は藤原基経(もとつね)の次男。つまり藤原摂関家では時平に次ぐ人で、元服式では天皇が戴冠するという、皇太子なみの異例待遇が

          第190回 右大臣の牛車 の巻(第4部 最終回)

          第189回 万事みな夢の如し の巻

          大宰府の道真は、はるか遠い京の都を思い返し「万事みな夢のごとし」と詠みます。 道真の心情がこれほどナマナマしく伝わる一句はありません。「大宰府編の最後で絶対に描きたい!」と最初から思っていました。 大宰府での道真は日々、「自死の念」との闘いに葛藤していたことが当時の詩から伺えます。 『古くからの友は時に私にごちそうしてくれた。また、家族は私の身のまわりの世話をしてくれた。今まで苦しい人生だったけど、私はいろんな人に助けられて生き続けてきたんだ。どうして今死にたいなどと考え

          第188回 菅家後集 の巻

          道真は死の直前に自身の想いを込めた46編の詩集『西府新詩』を、都にいる唯一の盟友・紀長谷雄(きのはせお)に届けます。 (ちなみに『西府新詩』は後世に数編が追加されて『菅家後集』となります。) 道真はこの詩集を誰に一番読んでもらいたかったのか? 和歌ではなく、漢詩という形式だった時点で広く一般に読まれることを想定していた詩集ではありません。 道真にとって唯一の理解者である紀長谷雄、さらには自らの教え子でもあった醍醐帝にこそ読んでもらいたかった…そう強く願っていたことで

          第187回 天拝山 の巻

          今回のネタは天神絵巻の伝説から。 道真は天拝山(てんぱいざんの岩の上で七日七晩、天に無実を訴え祈り続けました(当時は「天判山(てんぱんざん)」と呼ばれていました)。 願い文は天に昇り神仏に届いて道真は天神に…。そんな伝説です。 写真は天神絵巻より、天に願文を捧げて祈る道真。絵巻物によっていろんなバージョンがあって比較するのも楽しいです。 実際に道真が天拝山にのぼった史実はありません。 著書を見る限りではずーっと自宅で謹慎し、死の直前まで自身が信仰する観音に祈っていた