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[片づけ意識の違い]私が高齢の親と暮らせなくなった理由

私は一度実家を離れたが、娘が小学校に上がってから、再度同居する事となった。そこから約15年余りの年月、両親と暮らした。

親と同居したからこそ、私は働き続ける事ができ、残業も出来た。
それに関しては感謝していて、最後まで私が面倒見るのだと思っていた。

私が片付けの仕事をし始め、片付けの資格を取得し、片づいた暮らしをしようとすればするほど、同居の母と私は何度もやり合う事となった。

私は片づけて出来るだけスッキリと暮らしたい。シンクの上にはモノは置きたくないし、ダイニングテーブルの上も、出来れば何も置きたくない。

でも母は、
「サッとモノが取れる場所に置いておきたい」
「あなたは何でも捨てれば良いと思ってるんだから!」
と、まあ噛み合わない。

私が週末の休みには、冷蔵庫の中の期限切れ間近の食材を、フードロスも減らしたいからと調理しても、母は安売りの期限ギリギリの品を買ってくる。

年末の大掃除をして、冷蔵庫の中を片づけて、スペースに余裕が出来て、気持ちも余裕が出来たと思っていた矢先に、
母は
「お正月だし、安かったし買ってきた!」と言って生鮮食品を購入してくる。


少し賞味期限を過ぎた商品も
「気にしなくて大丈夫よ〜!」
と、気にしない。
まるで私が神経質な小姑のようだ。

カビの生えたパンも、カビの部分だけ、包丁の先で削り取って焼けばオッケーと思ってる。


私も片づけの意識やフードロスの事を認識する事が無かったら、平気だったのかも知れない。
でも、片づけの資格を取り、フードロスや劣化の現場を知ってきたからには譲れない面もある。

台所には台所大臣が1人とはよく言ったモノだ。
親子とは言え、台所の主は母なのだから、私が口を出すと上手く回らなくなる。


そのうち、私は母の食事を食べる事ができなくなってしまった。

母が買い込んで溜め込んだ冷蔵庫やストック品のチェックをして、自分で食べたいモノを食べるというより、期限切れしないために作る食事や、

チェックし続ける事のストレスに、疲れてしまったんだと思う。

私自身、
「実の母の食事、お袋の味を食べたくなくなるなんて、何でひどい娘なんだろう。」
と自分がひどい人間なんじゃないかと思ったし、

「両親のため、できるだけやってあげたい」と思ってはいたけど、
両親にとっては私の奮闘は、大きなお節介だったのかも知れない。

そんなヘトヘトになった時に、家族のきっかけで、別の暮らしをする事になったのだった。

今考えると、良かったんだと思う。

私は私の台所大臣になる事が出来て、好きな品を好きなだけ作れるようになった。

自分が買ってきた品が多過ぎたり、期限間近になれば、自己責任だし、

今はストレス発散のごとく、料理をする私がいる。
美味しい食事を食材から選んで作って食べられる事に、とても幸福感を感じる。


両親とは程よい距離を保って、あれこれ私が買って持って行ったり、外食の時間を持ったりしている。

母は年明けに90歳になる。

両親が安心して安全に、最後まで過ごして欲しいと願っている。

ただ、声は掛けられるが、私が母の料理を食べる事は、多分もう無いと思う。


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