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私と紅茶(自己紹介)

「AMBER紅茶の会」主催者の江口晶子です。
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・1971年生まれ、現在51歳
・日本紅茶協会認定ティーインストラクター
・NPO法人日本茶インストラクター協会認定日本茶インストラクター
・元幼稚園教諭/保育士
・全てのお茶類/音楽/絵本と児童文学/イギリス文化/発酵と養蜂に興味津々
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好奇心を掻き立て、時間が経つのを忘れるほど没頭してしまうような
”何か”に出会えたら、人生とてもラッキーです。私の場合、それは「紅茶」でした。出会いから40年超。紅茶と私の接点を自己紹介としてお話しいたします。

 1.初めての紅茶は…?

私は初めて紅茶を口にしたのは10歳の頃、母が淹れてくれたのがきっかけでした。黄色い袋をペリペリっと開けて取り出したティーバッグにお湯を注ぐと、周りから少しずつお湯の色が変化し、やがて深紅の紅茶になりました。その色の綺麗なこと!

ティーカップを口元に運びひと口含むと、頬の内側や舌に軽い渋みが、ごくりと飲んだ後には、香りも一体となって鼻の方まで広がりました。それは何とも鮮烈な体験。「私はこの飲み物が好き!」とはっきり自覚したことを覚えています。

2.カルチャーショック

同じころ、私は物語(海外児童文学)で描かれる「お茶」=「紅茶」ということに気づき、衝撃を受けます。

つまり「お茶でも一杯いかがですか」と恭しくもてなしたり「お湯を沸かしてお茶にしましょう」と場面を切り替える、あの「お茶」は先日口にした「紅茶」と同じ物だったのです。「紅茶」が見知らぬ国の日常として 物語に描かれている事実。「お茶を飲む」という行為が、遥か昔から連綿と続いているという事実。それはクラクラするような壮大なロマンを感じるものでした。

紅茶には、目の前にある「飲み物」としての役割だけではなく、その背景まで丸ごと好きになってしまうような圧倒的な「何か」がありました。こうして私は紅茶にすっかり魅了されてしまったのです。

3.トライ&エラー、紅茶との付き合い方を探る

中学・高校時代はリーフティーを自分で淹れることに夢中になりました。
お中元やお歳暮でいただく海外ブランドのものから スーパーマーケットで購入した普及品まで。手あたり次第トライしました。

茶葉の大きさ・形、色・香り・味に個性があることがわかってくると「この紅茶はどんな味かな?」と想像することも楽しみのひとつになりました。ただ、当時の淹れ方は全くの自己流。想定外の仕上がりになることもしばしばありました。例えば「茶こしに茶葉を入れてお湯を注ぐ」という方法では、色が十分出ているにも関わらず、飲んでも「まるでお湯」のような物足りない味でした。またある日は、アイスティーを作ろうと意気込み、茶液を冷蔵庫で冷やしました。数時間後、驚くほど濁ったもの(クリームダウン)に変容した姿を見て、呆然と立ち尽くしたこともありました。紅茶が時に見せる気難しい一面に落胆したり、改善策を考えたり、私は紅茶との付き合い方を探るのでした。

もしもインターネットが普及していれば、すぐに解決したのかもしれませんが、紅茶の様々な表情が純粋に楽しく、私はそれだけで満足でした。

4.イギリスのティーブレイク

社会人となり幼稚園教諭として勤務していたころ、視野を広げてみたいという気持ちから 海外で日本文化を紹介するプログラムに応募しました。赴任先の小学校がイギリスだったことは、紅茶好きの私にとっては何より幸いなことでした。

イギリスでは日に何杯も紅茶を飲みますが、その中でも人の暮らしに欠かせないのが、午前と午後のティーブレイク。家庭での職場でも、外出先でもこの「ティーブレイク」が必ず行われるのです。周りの真似をしながら紅茶を飲んでいた私ですが、次第に自分の生活リズムとして、やがて習慣として定着すると、ティーブレイクは生活の中の「小休止」のようなものだと体感的にわかるようになります。それは思考や作業から一旦離れ、カチッとモードが切り替わるような感覚。異空間に入ったかのように、時間の流れさえ緩やかに感じるから不思議です。

同僚との会話、お供のビスケット。ティーブレイクの楽しみは色々ありますが、私が心がけていたのは「五感を取り戻すこと」。温かい紅茶に緊張がフッと緩み、五感を研ぎ澄ますと、自分を取り囲む美しい世界に焦点が合うようになります。日々移ろう空の色、湿気を含んだ土の匂い、辺り一面を金色に染める西日。ひとつひとつを確かめながら感じ取っていると 、かけがえのない瞬間を生きているという実感がじんわり沸きあがるのです。異国の地で日本語を話す機会がないということは良くも悪くもストレスフルなことです。その状況を丸ごと受け容れ、ニュートラルに捉えることができたのは、ティーブレイクが日常の節目にあったからだと、心からそう思います。マグが空になれば終わってしまう儚いひと時ですが、紅茶で満たされた時間が歩き続ける活力となっていたのです。

私が「TEA」という言葉から連想するイメージにはイギリスで過ごした時間がしっかりと紐づいています。それは安心できる居場所のように温かく、どんなに豪華な紅茶文化よりも豊かさを感じるものです。

5.今、わたしが思うこと

帰国後にティーインストラクターの資格を取得し、22年が経過しました。振り返ると、初期の頃の教室は「楽しみ方を外へ外へと広げる」ことに重きを置いた内容でした。豊富な紅茶の種類を揃え、沢山のアレンジメニューを紹介し…紅茶の世界の広さを伝えることが自分の役割と思っていたんですね。

ライフステージの変化とともに私の紅茶観も少しずつ変わり、現在は「暮らしの中の紅茶」をこれまで以上に大切にするようになりました。昨年から「AMBER紅茶の会」という名前で、講座・ワークショップを企画しております。
 
紅茶は水や食糧のように「ないと暮らせない」というものではありません。でも、人の感情に寄り添い、仕事の生産性を高め、好奇心や満足感をもたらす、つまり「あることで暮らしの質を少し良くする」力を秘めていると感じています。

しかも、紅茶を淹れることは、数あるキッチンワークの中で最も工程が少なく、失敗しにくいことのひとつ。手に入れやすい幸せといえるのではないでしょうか。この素晴らしい飲料、紅茶が、暮らしのパートナーとして皆様の傍らに寄り添ってくれますように!


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