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革命 と エアメール

 エメラルドグリーンの美しい海に囲まれた小国は、たかだか60年前の革命によって誕生した。

 キューバ革命は、1959年にフィデル·カストロ(後のカストロ議長)やチェ·ゲバラ達が、ゲリラ戦の末に米国の支配下にあったバティスタ政権を打倒し、新政権を樹立した事に始まる。カストロ政権は、社会主義宣言を行い、土地や家屋などを国が管理する事とし、莫大な米系企業の資産も接収した。
 キューバ映画『低開発の記憶』は、当時の様子を克明に描かれた傑作として知られているが、革命直後には、新政権への反逆者や処刑を逃れた軍事関係者のみならず、企業家や医師など専門職についている富裕層のキューバ人など、合わせて20万人以上がフロリダ州に亡命したと言われている。
 世界的なミュージシャンのグロリア·エステファンもそのうちの1人で、彼女の代表作である『90millas(ノベンタ·ミージャス)』というアルバムのタイトルは、マイアミとキューバの首都ハバナの距離が僅か90マイル(140km)である事から付けらたという。

 今でも市街地のあちこちに建っているスペインコロニアル風の建物は、元々は富裕層の所有物だったらしいが、革命時に持ち主は亡命し、国が接収した後には国民に再配分されたらしい。ハバナ生まれのスペイン語の先生曰く、そこで働いていたお手伝いさんに付与された、というケースもあったという。革命前夜にそこに居た、というだけで貧民から富豪になった人達がいる。衝撃的な話である。
 キューバは最後の社会主義国家とか、共産国の成功例とか言われる事があるが、一般市民は基本配給制度を使って生活しているので、結構質素な暮らしをしている。
 それは、2011年にキューバに行った際にも感じたが、物資が少ない彼らは、日本から持っていったカレンダーやシャープペンとかをプレゼントすると、とても喜んでくれた。
 モノが溢れている日本が失ってしまったものが、まだ灯火(ともしび)のように残っている気がする。懐かしさに近いような、やさしい気持ちになる。

 但し、厳しい現実もある。帰国の前日に、新市街に住んでいる70代くらいの日系キューバ人の女性から、手紙を送ってほしいと渡された。始めは切手代くらい工面する旨を伝えたが、そう単純な話ではないらしい。聞くところによると、アメリカに生き別れになった親族が住んでいるのだが、キューバから米国には郵便物が届かないのだという。恐らく国交が無いから拒否されるか、郵便事情が劣悪なのだろう。安否も分からない状態だということだった。その手紙はキューバから日本に持ち帰り、日本からアメリカへのエアメールで送ることにした。

 託された“ハバナからの手紙”には、確かに革命の爪痕が残っていた。

 

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