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海を連れて長野へ


今は朝
ライブを終えて次の日

思ったよりはやく目が覚めたので
お湯を沸かしながらぼーっとしている
こういう時に本を読みたくなるなと
祖父のお家からもらってきた太宰治の津軽を読む

知っている人がこの本を読んでいたと思うと何か浪漫があるな
どういう気持ちでどういう場所でどんなふうに読んでいたんだろうか
もう今は居ない祖父は本が好きだったんだろうか、写真は好きだと知っているけど

そう思うと祖父や祖母の人間的な部分てあんまり知らないな
今度おばあちゃんには話をたくさん聞きに行こう

ゲストハウス東家


昨日松本駅に着いた後も
喫茶アベで津軽を読んでいた


長野は私にとって不思議とすごく特別な場所で
でもそれはきっとめぐちゃんという友達が
この地にいるということが大きいのだと思う

めぐちゃんがいたから長野を知れたし
めぐちゃんがいたから長野を好きになれた!
ありがとネ


長野県には何度も訪れているけど
毎回ご飯が本当に美味しい

今回は2年半ぶりのアルプスごはん
ここのご飯が本当に大好き

私の横で食べていたおじいちゃんが
ご飯を食べる前に本当に長い間手を合わせて
いただきますをしていた

何を思って手を合わせているのか
私には分かるはずもないけれど

その光景がものすごく衝撃で
何故か涙がぽろぽろ落ちてきた

"いただきます"
というのはこういうものだ

と思って私は食べる途中だったけど
もう一回ちゃんと
"いただきます"をした



長野の食は"美味しい"
という言葉でははまりきらないのだけど無理に言語化しようとするなら

染みわたる
豊か
ていねい

食材

あたたかさ
感触
しあわせ
彩り

んーーー

それでも中々しっくりはこないけどこんな感じ

最近の私は
言語化するのがとても苦手だなと感じる、
というよりそれに気づいてしまった
そのせいで発言しようとする言葉の一つ一つがしっくりこなかったり、今じゃないのかと思ったり
複数人との会話で言葉を発するのが奥手になってしまった気がする
会話はスピードがあるので中々思うように言葉がまとまらない

手紙や日記、歌詞なら自分の考えをある程度
こねて丸められる
書きながら自分でこう思っているのかと気づくことができる
私にとってはその方がしっくりくるし
思っていることと別の意味で伝わってしまい
誰かを傷つけることは少ないしなんとなく安心感があるんだと思う

それでも私は人間なので
きちんと共通の言葉を交わしていくこと
意思を伝えることは大切だなと思う
音楽をやる上でももちろん

共通言語を持つことは難しい
だけど幸せだと思う

打ち上げは韓国料理みどり
岡山時代からの大好きな友達
室田夏海とめぐちゃん


ライブには知っている顔も知らない顔も
私の音楽を愛でてくれてる人たちもたくさんいてそれがすごくすごく嬉しかった

私の音楽がきちんと届いているんだな
私の音楽が愛されていることて
本当に本当に幸せなのだ!
ありがとう

私の大好きな海を連れて
山を浴びて歌った

また来ます長野
少しずつ少しずつこんな場所や人が
増えていくといいな✴︎

photo by Gomi takashi
❤︎

ありがとう
今日も長野楽しむぜ

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