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心に海を抱いている


子どもの頃、
"私は風を操れる"と思っていた。
馬鹿みたいな話だけど本当に心の底からそう
思っていた。

休み時間、ブランコを漕ぎながら
「風よ止まれ。風よ止まれ。」
心の中で何度も呟いて目を閉じる。
そうすると不思議と風が止まる。ほらねって、ドヤ顔でその後もブランコを漕いだ。

そりゃあそうだ。
何回も何回も呟いてるんだもの。時間は経つし、風はいつか止まる。
私でなくても、隣でブランコを漕いでいた幼馴染の宮下だって同じことができるはずだ。
でも確かに、あの頃の私は風を呼んだり風を止めたりすることができていたのだ。それは、今の私から見てもちっとも揺るぎはしない本当にあった、体験した事実であり、宮下ではない私の記憶なのだ。


私の頭というものは運動場だけではなく、教室の中でも少しおかしな様子だった。

椅子に座って授業を受けていると、なんとなく窓の外の景色に気持ちが向く。
私は今、椅子の上。この天井の上は屋上。屋上を抜けると青い空が。そのままもっと上に上に気持ちを飛ばしてみる。そしたらぐんぐんぐんぐん自分の感覚だけが自分から離れていく。
気づいたら宇宙まで感覚が飛んでいって
自分のことを、学校を、遠い遠い所から俯瞰して見られるようになる。
なんだか怖くなって不安になって、でもちょっぴりワクワクする。気持ちがいいような悪いような感じたことのない感覚。
でもやっぱり怖さが上回って、焦って自分に感覚を戻してくる。

気づいたら授業はたくさん進んでいて
なんの話をしているのかさっぱり分からない。

これも子どもの頃に確かに私が体験したことのひとつ。

どれもこれも今の私には到底できやしない体験で、記憶と同じようになぞっても何にも起こることはない。
子どもの頃の私だからできたこと。

そんなのずるい!

でも少しだけその頃の扉が開く場所がある。
それが海だということに最近気がついた。
私の心は、私の街にある海と繋がっている。
とぅるんとした柔らかい瀬戸内の海。ここに私の子どもの頃のキラリとした純粋さが溶けているのかもしれない。
今の私にはもう無い、風や空と繋がっていたあの頃の何かがこの海の中にはあるのだろう。

私の心の中に、この海をずっと抱いて生きていけたらいいのに。

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