「コミュニティ」の価値ってなんだろう?

皆さん こんにちは。

今日からnoteを書き始めます。まず初めはコミュニティのついて複数回にわたって書いていきたいと思います。下記のテーマに渡ってコミュニティの価値について考えたいと思います。

①コミュニティの価値とは?

②コミュニティの運営者の視点(コミュニティの活動を活発化するには)

③企業のマーケティングにおけるコミュニティの活用について

④コミュニティ運営側の視点(マネタイズをしていくには)

第1回目は、「コミュニティの価値」について考えたいと思います。

皆さん「コミュニティ」と聞くと何を想像しますでしょうか?

辞書から引用すると「ネットワーク上における情報交換を目的とした団体、または情報交換を目的としたネットワークそのもののこと。」

と書いてあります。いまいちわかりにくいですよね。

ここではコミュニティの定義を「ある同じ目的に対して、能動的にかかわろうとする人々のまとまり」としたいと思います。

今の時代に、なぜコミュニティが注目されているかというと、自分自身と同じ興味関心を持つ人が「見える」ようになり、またその人たちが容易に「コミュニケーション」できる環境ができたことが一つの要因だと思います。普通に生活しているだけでは、絶対に出会わない人同士が、同じ興味関心を共有する場として集まり、「居心地の良い場所」を作り出せるようになったわけです。

例えば、ヤッホーブルーイングという企業が生み出しているコミュニティを一つ例に取り上げたいと思います。下記記事を読んでいただくとよくわかります。

「よなよなエール」というクラフトビールを製造・販売するヤッホーブルーイングは、熱狂的な自社のファンを見える化し、自社を好きになってもらうための活動をいくつもしています。ヤッホーブルーイングのコミュニティのテーマは、

「ビールに味を!人生に幸せを!」

です。ビール好きだけではなく、人生をハッピーにしたいと思っている人が集まる場として、その人たちがもっとハッピーになれるようなコミュニティになっているわけです。(僕も参加してみたい。)

普通に生活しても絶対に顔を合わせたり、話さないだろう人々が、「ビール」「人生を幸せにしたい」という共通点だけで交流ができる居場所がヤッホーブルーイングのコミュニティなわけですね。

このように、一人の人間が、興味・関心を軸にコミュニティに参加し、自らの「居心地の良い場所」をつくることが、容易にしやすい環境になったことが、今、注目をされている背景にあると思います。

さて、コミュニティを語る視点としてもう一つ、「宗教」との違いがあります。同じ目的や考え方を持つ人間が集まる場と聞くと「宗教」もそうですよね。キリスト教やイスラム教、仏教など世界中にはたくさんの宗教があります。

例えば、イスラム教は「唯一絶対の神(アッラー)を信仰する一神教」です。イスラム教を1つのコミュニティとしてみたとき、そのコミュニティに集まる人は「アッラーの教えを守る」集団になるわけです。ここまでの考え方は、コミュニティと宗教は同じです。異なるのはここからです。仮に「アッラーの教えを守る」ということを「信仰」という言葉で表現します。信仰を守らない人がいたときどうなるでしょうか?

おそらく、弾圧されます。

これが宗教です。

たいして、コミュニティは、信仰を守らない人(例えば先のヤッホーブルーイングの「ビールに味を!人生に幸せを!」という考えを守らない人)が出てきたら、弾圧されますでしょうか?

おそらくそんなことはありませんよね。

つまり、コミュニティと宗教は、「同じ興味・関心・考え方を持つ人同士が集まる集団」という点では同じだが、その集団内のルールに対して「どのような行動を促し、その結果どのような処置・対応をするのか」を追求するレベルが違うのだと思います。こういった点からコミュニティは、宗教と比べると、同じ興味・関心・考え方を持つ人同士が"ゆるく"繋がれる場所だとも言えるかもしれません。

次回は、②「コミュニティの運営者の視点」をテーマに書いていきたいと思います。

#コミュニティを考える