見出し画像

儚くて優しいあの人


私が初めて身内じゃない存在の人を亡くしたのは小学校6年生の時。
担任だった先生をガンで亡くした。

その先生のクラスになったのは5年生になった時。前年に赴任してきた女性のH先生は短髪で仏頂面でいかにも厳しそうで怖そう…と思っていてクラス割りで自分の担任になると分かった時はうわ…マジか…とショックを受けたことを覚えている。
怯えながら新しい教室に入って帰りの会が始まるとH先生は明るくニコニコしながら話し始めた。空気が変わった。クラスの緊張がほぐれる。
会の後、前年から引き続き受け持ちになる子たちがH先生の元に集まるとH先生は新しく担任する子たちを呼ぶ。先生は朗らかに優しく話しかけてくれてクラス替え初日、そのギャップでクラス全体を虜にした。

H先生は皆が仲良くなれるように1人ずつ写真を載せたプロフィールを教室に貼ったり、帰りの会後の号令を毎日楽しく過ごせるように考えて実行してくれた。
昼休みはクラスみんなで遊ぶルールを決めて、本当は嫌だったけどH先生がみんなで遊ぶことを望んでいるのならまあ、いっか。と思える位何とかポジティブに捉えていた気がする。


ずっと覚えている記憶がある。私はすごく運動音痴で、体育でバスケの授業の時期、何かの弾みでミスをしてしまってからずっと見学していた。
今思えば大した事ないミスでも変にプライドが高かったから多分、恥ずかしかったんだと思う。
H先生はミニバスの顧問だし、力を入れているはずなのにサボりと見ても何らおかしくないのに無理にやらせたり、怒ったりしなかった。私は体育座りしながら皆を眺めて考えていた。呆れているだろうか、憎憎しく思っているだろうか、私もやる、の一言を待ってくれているのだろうか。分からなかったけど家で無理強いが日常だった私はちょっと考える時間を1人もらえて安堵感もあった。

6年生になる時クラス替えはなく、引き続き先生のクラスの一員でいれることが嬉しかった一学期を少し過ぎた頃、H先生から病気でしばらく入院すること、復帰まで代わりの先生がくることが伝えられた。必ず元気になって戻ってくるから、と。
代わりの先生が2人来て1人は男性、2人目は女性の先生。交互に来たり、一定期間1人が教えたりスケジュールは色々だった。

代わりの男性担任はこのクラスは体力がない!!と突然言い出したかと思えば朝、1時間目の前と放課後に運動(主に球技)の時間を設けて最初は顔を出すもすぐに来なくなり結果運動の時間は自然消滅×3や頭は叩く等体罰はする、上から物をいうはで不登校気味だったある女の子は前日学校を休んだ私(皆の前でサボりと言われた)と一緒に小言を言われた後、耐えきれずか上靴を履いたまま帰宅し一時行方不明となった。私はあぁ、こんな怒りの表し方、逃げ方もあるんだと感心した。
よって私はこの頃から家庭以外にも大人を憎む気持ちが生まれた気がする。

女性担任は優しくて明るくてまだ男性担任より好きだった。
定期的にH先生の話もしてくれた。
そんな秋頃、H先生は何の前触れもなく教室に現れた。皆大歓喜で、でも元から細かった身体がさらに痩せている事にびっくりで。ひょうきんで少しだけぽっちゃりした男子が「僕のお肉を分けてあげたい」と笑顔で呟く。でも以前にも増してニコニコして本当に嬉しそうなH先生に会えて嬉しかったし皆泣いたりしなかった。皆笑っていた。

先生が亡くなったと知らされた日、朝教室に入るとクラスのミニバス男子達が泣いていて不思議に思っていたら何人かの教師が集まり暫しの沈黙の後H先生の死が告げられた。あっちこっちで啜り泣く声が聞こえる。その時ちょうどクラスのある女子グループが割れていて(男絡み!!)雰囲気も微妙に悪かったのだけどまず2〜3人が女子トイレに行き、数分置いてまた複数人が教室を出るを繰り返し気づいたら私もトイレで泣いていた。昨日まで男の取り合いで揉めていた複数人含めて女子全員が輪になって泣いた。泣きに泣いた。でも泣きながら、「あー酔ってる。人の死を利用して悲しでる自分達に酔ってる。男の取り合いで揉めてた癖にこの状況に酔ってんなー」そんな風に自分を、周りを、この光景を客観視していた。

お別れの言葉を誰が読むか、私含めて3人が立候補して話し合いの時間が与えられ、3人とも駄々っ子のように動かず無言の気まずい時間が延々と流れた結果、一番成績の良いAちゃんが選ばれた。

お葬式にはクラス全員で参列した。
きっと元教え子だろうな、と思われる中高生もたくさん参列していて泣いている人も当然いて。でも大人達からは今自分達は「担任の先生を亡くした一番可哀想な子たち」と思われてるであろう視線、空気をひしひしと感じて今だにその感覚がわずかに身体に染み付いている。

その後また違う女性の担任が来てしばらく授業する期間が設けられたりを経て、また数人先生が教師に集まる中、顔を机に伏せたまま担任は誰が適任か挙手制で投票した結果、後任は男性教師になってしまって私はもう絶望感を抱えた。田舎ならではの男性教師の頼もしさが故の価値観か。ふざけんなよ、って哀しくなる。

後任になれなかった優しい女性教師がH先生はお見舞いに行くとクラス一人一人の名前を挙げながら近況を聞いていたと話してくれた事がある。
自分がガンで苦しい身体なのに、ずっと心配して気に掛けてくれていた姿を想像すると強さと儚さの意味を考える。

あの時、同じクラスだった子、誰1人ともあの時の想いを共有できていない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?