夏なのに冷たい。

今でも鮮烈に覚えていることがある。
小学校一年の時、まだ横浜に住んでいた頃の記憶。
私は夜中に「お母さんの声で」目を覚ました。
襖一枚隔たれた向こう側、煌々としたリビングの灯りがこちらにも洩れてきている。
そして、母が明らかに酔っ払った声で誰かと電話で話している。
なんだか不穏な感じがした。

そこから母が崩壊するのには、大して時間はかからなかった。

母が私のお気に入りの掛け布団を持ったまま、全裸で外に飛び出して行ってしまった。
そのままお隣のインターホンを押した。
お隣さんはすっっごくいい人で、酔っ払って泣きじゃくって全裸で訪問してきた母を優しい顔で連れて帰ってきてくれた。
今から考えれば、その優しい顔は優しさではなく、幼い私への同情の表情だったような気もする。

私は子供で、しかも一人っ子で、父は女を他所に作ってずっと帰ってきてなくて、訳がわからなくて、ただただただ怖くて何も出来なかった。
唯一わかっていたことは、お母さんが壊れた。ということだけだった。
近所に住む親戚のおばさんを頼った。おばさんはすぐに飛んできてくれた。
あと同時に警察も来た。それと普段帰ってくることのない父も来た。

母は相変わらず全裸でトイレの便座に座っていた。
便器の中にジーパンとか鍵とか財布とかを入れて、その上に全裸で座っていた。
怯える私をトイレに呼びつけた。
私のTシャツのほころびを見て、「虫がいる」と言った。私はうなずくことしか出来なかった。
夏だったのに私の記憶はとても冷たい。

警察は覚醒剤とか薬物を疑ったらしい。そらそうだ。全裸で飛び出してお隣に突撃しちゃったのだから。
人はアルコールだけであんなにも錯乱状態、奇行に走れるものだろうか。
そこは31歳になった今でも不思議に思う。

でもそれらの反応が出ないとわかると、アルコールの専門病院に診てもらった方がいいのでは、というようなことをおばさんに言っていた気がする。
警官が去るときに私の顔を見て、何か言ってくれたけどもう思い出せない。
でもその表情はお隣さんと同じだった。
お母さんはお父さんに抱きついて泣いていたように思うけど、すごく変な光景だと思った。
今思えば、父は母にすでに愛情なんてなかったように思える。

そして、大阪から祖母が来た。母の姉もどっかから来た。父はいなかった。
私はあっという間に転校が決まり、祖父母のいる大阪に引っ越すことになった。
「お母さんは病気でその良い病院が大阪にある。治ったらまた横浜に帰ってこれる」
というような叔母からの説明だったので、私は学校のみんなにのんきに
「一年したら、戻ってくるよ!」
と満面の笑みで伝えていた。転校は寂しくなかった。だって戻ってこれるし…

もうあれから20年以上の月日が流れたが、私は今も大阪にいる。
横浜には二度と帰れなかった。

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