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選択子なしのライフイベント

子供がいないと人生のイベントがなくて寂しいらしい。
確かに私のこれからのライフイベントは、
・夫や親との別れ
・転職
・自分の終活
がメインになるだろう。
え?平均寿命まであと40年近くあるけどこれをやればいいだけ?めっちゃ自分の時間あるじゃん!

イベントが嬉しいかストレスか

私の残りの人生に待ち構えているライフイベントがほぼ死別であることがわかった。最高に嬉しい。なぜならイベントがなければその分ストレスも少ないから。
ライフイベントというくらいなので人生を揺るがす出来事だと思うが、そのような行事はめんどくさいことも多い。
例えば結婚式。準備だお金だ親族だと、とにかく考えることが多い。これが本当に億劫感じたので式は挙げなかった。
親や夫にドレス姿を見せないのはさすがに悪いかと思って写真を撮るだけで済ませたけど、私たちにはあれが限界だと思う。自分たちでドレスを決めて撮った写真を選ぶだけなのに撮影当日はとっても疲れたし、何度か店に足を運ぶことになった。
もし自分に子供がいたら、お宮参り・七五三・入園入学式・運動会・卒業式・受験・進学・成人式と約20年間のうちに沢山の行事をこなさなければならない。しかも大体が夫1人でこなすのは大変なことなので、夫婦で協力してやっていくしかない。めんどくさい。
写真館を選ぶのも運動会のお弁当作りも学校の役員も受験の情報収集も全部めんどくさい。でもやらなきゃいけないから、手抜きもできずに大真面目に取り組むんだろうな。そしてストレスを溜める。私はそんな生活はできない。向いてない。

ライフイベント楽しい族も確実にいる

小学校の運動会でやたらはりきる親や、成人式の前撮りで娘より張り切ってるお母さんとか、ライフイベント大好き族は間違いなく存在している。あなたは本当に子供を産んで正解だった、おめでとうと祝福の気持ちさえ生まれる。
私は自分のライフイベントすら億劫で仕方なかった。非日常へのストレス耐性がまったくない。いつもと違うことはあまりしたくないし、特別なこともかなり苦手。
お金もかかるし決めなきゃいけないことも多いし、その分悩みも出てくるのがとにかくストレス。
運動会や発表会の行事はもちろん行きたくないし、成人式も本当は全然行きたくなかった。
自分が結婚した時も、結婚したという変化をわざわざ祝ってもらうのが居心地悪かった。
今は趣味で全国各地を飛び回ってるけど、数日前から当日までは必ず行きたくないモードになる。非日常が始まったら終わってしまうのも嫌だし、それまでソワソワ落ち着かずに過ごすのも苦手。
自分のライフイベントですら消極的な人間なので、選択子なしであるこれからの人生にライフイベントがないのはありがたい。むしろ助かる。誰かのために頑張らず、自分の思う人生を歩むことができる。
私にとってこれは幸せな人生の必須条件だろう。

追体験ってやつをしたいかどうか

昔テレビで某芸人が「子育てをしていると子供の行事などで子供時代を追体験できるようで楽しい。」と話していた。私はさっぱり意味がわからなかった。
だって子供時代を追体験したいなんて一度も思ったことがない。
権力を持っているとでも勘違いしているような教師、思春期の女の子独特の陰湿さ、薄暗く悲壮な雰囲気が漂っている家庭、その全てが嫌だった。大人になって自由になった時、私は本当に嬉しかった。学校と家庭に嫌気がさしていた子供時代だったので、もう一度体験したいなんて絶対に思わない。
もし、自分の子供を通して子供時代を追体験したとしたら、私は自分の子供に嫉妬するだろう。
今の学校事情はよくわからないけど、私の時代から見て教育現場が劇的に改善したとは思いにくい。
ただし、暖かくて明るい家と、穏やかで優しい父親は約束されている。
私が欲しいものを持っている自分の子と私の違いはなんなのか。どうして自分はそんな子供時代を送れなかったのか。
せっかく治りかけている傷口がまた開く気がしてならない。
むしろそうやって追体験することで子供時代の自分を癒せるのかもしれないと思ったこともある。
でもそんなことのために子供を産む気にもなれない。追体験できたところでライフイベントを億劫に思ってストレスを溜めるのは変わりないので、私にはこの生き方が丁度いい。


さて、ここから先のライフイベントが主に葬式となった私だが、寂しいことはない。
人はいつか死ぬ仕組みになっているので、大切な人との別れがきても後悔しないように過ごすよう心がけている。
孫の七五三も運動会も成人式も見せてやれない娘だけど、私はとても充実した人生を送っている。子供がいないからつまらないなんて思う暇がないほど好きなもので生活を埋め尽くしている。(仕事以外は)
鬱々と子育てしている私と今の充実した生活を送る私、どちらの私が母にとって幸せなのかは明白なので、母も孫を抱けないが不幸でもない。
孫のイベントがない母は年齢の割に元気で、友人と旅行に行ってそれなりに楽しんでいる。
一族の中に若くエネルギッシュな生き物がいなくても、外の世界は楽しいことが沢山あって、私たちはそれを自由に選んで生活をカスタマイズできる。
私のように、家でできて歳をとっても続けられる趣味をいくつも持っている人間は、暇だと思う時間がない。子供や孫がいなくても、趣味やそのつながりの友人が生活を豊かにしてくれる。
こんなにも愛おしく自由度の高いこの生活を手放すなんて、できるわけがない。

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